「血統」と「科学」
拙著の自分の文章を改めて読み返してみると、ちょっときつい論調になっちゃったかな、なんて思っています。
拙著中では、疑似科学的な血統理論について、多少歯に衣着せぬ論調で自分なりの考えを述べさせて頂きました。
これについては、異論等も当然あると存じますので、今後頂戴していくであろう色々なご意見を反映しながら、次の版に繋げていきたいと思っております。
そんな中、いま何気なくウィキペディアの「競走馬の血統」を読んでいますが、
以下はその抜粋です。
「多くの競走馬生産者は、競走馬の競走能力がもっぱらその血統構成によって決定されるという信念を抱いている。競走馬の配合に関する経験や知識の中には理論
(血統理論、配合理論、生産理論)として体系化されているものもある。多くの場合は疑似科学的であり、その特異かつ複雑な理論構成とあいまって、
各理論の理解やその妥当性を離れて信奉や嘲笑の対象となることもままある」
「サラブレッドの生産が始まってから3世紀を超えてもなお、科学の域にまで押し上げられた血統理論はほとんどなく、サラブレッドの血統に関する研究や理論は、
未だ疑似科学の域を脱していない」
「サラブレッドの競走能力と血統の相関関係を体系化する際に、厳密な意味での統計学的手法が用いられることは、ほとんど皆無である。統計学的手法は、
これまでサラブレッドの世界に持ち込まれることがなかったか、あるいは無視されてきた。この事実は血統理論が科学的な理論と見なされない致命的な要因である」
「遺伝学は、血統理論を論じる場合にはたいてい無視されるか、誤解されるか、意図的に曲解されるか、あるいは単に知られていない」
上記は誰が書いたのかは分かりませんが、私の言いたいこと(拙著に述べたこと)とかなり重複していることに驚かされます。つまり、既存の血統理論に対して、
私と同様の考えや懸念を抱いている方がいるということで、若干私も安堵するのです。
この世界で名の通っている血統論者の方々には、理系出身者(ましてや生物学系出身者)がほとんどいないような気がします。これは、理系的思考の人たちは、
遺伝学や統計学を超える血統(配合)理論はないと思っているからです。私も同様です。「メンデルの法則」が発見されたのは100年以上も前ですが、
その基本原理を理解しているとは思えない理論も少なくなく、これは憲法の条文を読まずに憲法論を戦わせているようなものです。
以前、著名な血統論者の方と論じた際に話が噛み合わないことがありました。なんで噛み合わないのだろうかと思ったら、その方は「遺伝」の基本原則をご存知なかったのです。
以上のようなことを言うと、「理系でなければ血統や配合を論じてはいけないのか?」とお叱りを受けてしまいそうですね。誤解はしないで頂きたいのですが、
そのようなことを言っているのではありません。各血統論者の方々が保有するデータ、例えば、種牡馬ごとの産駒成績や距離適性、系統ごとの繁栄具合、
ニックスの事例などの情報量はかなりであると推察します。よって、そのデータにもう少し科学的な味付けをすれば、それは素晴らしい理論に発展するはずだと常々思うのです。
「メンデルの法則とは?」 そんな疑問を持つだけでもいいのですよ。なぜ極度の近親交配はいけないのかの「なぜ?」を怠ってきませんでしたか?
一方で、理系脳の方々にも大きな問題があります。つまり、遺伝学や統計学という「既存の科学」が絶対だと思ってしまっているのです。
本書の中でも書いた「エピジェネティクス」という新規概念は、既存の遺伝学を或る意味で覆すものであり、科学者たちのさらなる柔軟な思考も要求されます。
以上のようなことから、文系的思考と理系的思考の融合が、確かな血統理論への一里塚であると私は思っています。というわけで、「血統」と「科学」のさらなる融合、
およびこれの啓発が私のライフワークであるのです。
(2017年10月14日記)
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