「ギャンブル」と「競馬」

いまは亡き私の父親は電気溶接の職人で、究極のギャンブラーであり、生活保護寸前まで家を傾かせたこともありました。 私が競馬に傾倒したのはそんな父の影響ですが、しかし家族を心底悲しませたギャンブルだけは、私自身、いまも心底から嫌悪感があります。

パチンコは子供の頃から父に連れて行ってもらい、てっぺんに玉が入りチューリップが全開になる快感は表現ができないものがあり(←若い人はイメージ湧かないかな?)、 早く18歳になって正々堂々とパチンコをやりたいと思ったものの、すってんてんになってトボトボと父と家路につく虚しさも痛いほど味わいました。 よって、18歳になった時はもう興味すら失っていました。

他方、私は「遺伝」という生命現象に非常に興味を持ち、関連の書物も多数読みました。当然「サラブレッドの血統」という遺伝論議の究極の対象に傾倒しました。 しかし、いま以上に当時は「競馬=ギャンブル」という等式が絶対的存在であり、競馬に興味を持つ可愛い少年(←私のこと)は白い目で見られたものです。

拙著にも書きましたが、山野浩一氏の『サラブレッド血統事典』(二見書房)は当時の私の肌身離さずのバイブルであり、高校にも持参したら担任の教師に 「他の連中がこんなもん見てギャンブルに興味を持ったらどうするんだ!」と取り上げられました。万引きさえやる私の友人でさえ、毎月『優駿』を買う私に 「そんなの買ってたら、○○さん(←私が一方的に惚れてた女の子)に嫌われちゃうよ」と言う始末。そんな時代でした。

以前、民進党が競馬場等に未成年者入場不可の法案の原案をまとめたことがありました。「純粋にサラブレッドに逢いたい青少年はどうするの?」  民進党は嫌いな政党ではありませんでしたが、目の前の票が欲しいがゆえのあまりに浅薄な思考に、50歳を過ぎても青少年の心の私は本当に腹が立ちました。

というわけで、拙著は馬券(ギャンブル)という観点からは全く作成しておりません。それだけを言おうと思ったら、前置きが長くなってしまいました……。

(2017年10月14日記)

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