科学的とはどういう意味か?

小説家であり工学博士である森博嗣氏の著書『科学的とはどういう意味か』(幻冬舎新書)を読み終えました。思わず唸ってしまったフレーズが随所にあり、 以下に言及したいと思います。青字がこの本からの引用で、頁番号はこの本のものです。

<5頁>
この科学全盛の時代にあって、大勢の人たちは、むしろ科学を自分から遠ざけようとしているようだ。「そんな難しいことは専門家に任せておけば良い」と考え、 なるべく関わらないようにしている。大袈裟に避けているとまではいかなくても、なるべく見ないように目を逸らしている。


サラブレッドの血統(配合)を論じる際、「遺伝」という生命現象の話が忘れられていると常々私は思うのですが、上記と相通ずるものがあります。

<6〜7頁>
みんながこんなに「科学」を避けようとし、すっかり「科学」から遠ざかってしまって本当に良いものか、いくらなんでもちょっと不自然なのではないか、 と心配になることがときどきある。


遺伝の基本原理を理解しているとは思えない「疑似科学的理論」が依然少なくありません。 著者の森氏が「不自然」「心配」と言っていることと私の想いはかなりの部分で重複するような気がするのです。

<10頁>
とても大事なことを説明しようとしても、「いや、難しいことはわからないから結論だけ言って」と拒絶される。明らかな思考停止。心当たりはないだろうか?  僕は、そういう人たちを「文系」という言葉だけで片づけるつもりはないし、また、それが悪いといっているのでもない。この本で書きたいことは、 そういう思考停止が、その人自身に「不利益」をもたらしている、もっと極端な場合には「危険」でさえある、ということを知らせたいだけだ。


世間は「有るか無いか?」「安全か危険か?」のように即座に2つに1つの結論を求めがちです。しかし物事は単純に結論など出せないものが殆どです。 結論だけ聞いても、その背景を理解しなければ、結局はあまり意味を持たないことが殆どなのではないでしょうか? また、結論だけ聞いてそれを鵜呑みにしていいものでしょうか?  その結論に至った道筋を理解しないのは非常に危険だと私は考えます。そのように鵜呑みにする人たちばかりになると悪意ある情報操作は容易になり、 デマや風評被害が益々はびこってしまうのです。

<11頁>
現代社会は民主主義を基本としている。大衆が方向性を決める。一部の専門家がすべてを決めることはできない。だとすると、大勢の人が非科学的な思考をすれば、 それが明らかに間違っていても、社会はその方向へ向かってしまう。


サラブレッドの血統の世界で名の通っている論者の方々には、理系出身者(ましてや生物学系出身者)が殆どいません。これは、 理系の人たちは遺伝学や統計学を超える血統(配合)理論はないと思っているからでもありますが、しかし自由奔放に実際の科学から離れた理論ばかりになってしまうと、 みんながそれを真実と思ってしまうのです。

<30頁>
ところで、「文系」というものができたことで、「理系」が必然的にできる。理系は、集合的には、「文系に含まれない人たち」という意味だ。 文系には、数学や物理から逃避するという特徴(あるいは傾向)があるけれど、理系にはそういった特徴は顕著ではない。理系の人間は、特に国語や社会から逃避しているわけではない。 ここを、文系の人の多くはたぶん誤解しているだろう。


その通りだと思います。この本の著者の森氏は建築を専攻した工学博士でありながら小説家でもあります。私自身も、文章を書くのが好きだからこのような活動をしていますし、 文学にも非常に興味があります。

<46頁>
子供のときに「文系」へ自分を閉じ込めることは、「言葉だけの知識」を「理解」だと勘違いすることとほぼ等しい。


上記は、養老猛司氏の著書『文系の壁 理系の対話で人間社会をとらえ直す』(PHP新書)にある以下の一節と全く同じです。
「文系の人は、自分のわからないことを言葉で解決しようとします。たとえば、独楽は回っているから倒れない、自転車は走っているから倒れない、 ということを『理屈』だと思い込んで納得し、それで解決済みにしてしまう。回っている物がなぜ倒れないのか、走っているとなぜ倒れないのかは考えようとしません」

<157〜158頁>
「放射線」とは何か、ということを一般の人は理解していない。というか、理解しようとしない。「私はわからないから」と主張する。わからなければ、調べれば良い。 隠されている情報ではないのだ。調べる手立てがない人は、知っている人に聞いて学べば良い。ちょっと勉強すれば、だいぶ違うはずだ。 それはたぶん、30分とか1時間の勉強で事足りるだろう。その努力を、何故放棄しているのか。


上記の「放射線」を「遺伝」に置き換えてみると、私が現在の競馬サークルに対して言いたいこととほぼ同じになります。「メンデルの法則」が発見されたのは150年も前ですが、 それを理解しているとは到底思えない論述も散見されます。

<189頁>
それにしても、これだけ科学が定着し、ほとんどの人が科学の基礎的な教育を受けている世の中なのに、まだまだ非科学的なことが横行しているのはどうしてなのだろう。 本当にいつもいつも僕は首を捻っているのである。


全く同感です。食べず嫌いではないですが、どうしても物理学、化学、生物学と聞くと難しいという先入観を抱いてしまうのかもしれません。 サラブレッドの血統や配合を論じる際に、とりあえずは高度な生物学は不要です。その一方で、メンデルの法則等の「基本」を理解するのは必須です。 その理解なしに論じるのは、憲法の条文を読まずに憲法を論じるのと全く同じなのです。

(2018年3月24日記)

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