「血統」と「馬体」

『ROUNDERS』の編集長でもある治郎丸敬之氏が書かれた『馬体は語る』(主婦の友社)が発刊されました。 私自身、馬体を見る眼が全くないので、治郎丸氏のような慧眼たる相馬眼はまさしく尊敬の対象なのです。 馬体を精査するのは非常に有意義であるのは間違いなく、この本はとても価値があると思います。

ところで、競走馬の個性(つまり能力)を語る上で「血統」と「馬体」は双璧のように言われます。 その中で、相変わらず種牡馬系統ごとの特徴を謳っているような市販本も散見されますが、一旦競走馬として大成した馬の個性を判別する上で、 巷間に溢れている血統関連本に書かれているように血統を検討するのはあまり意味がないと私は思っています。

例えば、年末の商店街の福引で見かける「ガラポン抽選器」を想像して下さい。いまガラポン抽選器は2つあり、赤い玉が1等としましょう。 1つの抽選器には多数の赤玉が入っているものの、もう1つの方は少ない。当然、前者の方が1等が出る確率は高い。しかし後者からも赤玉は出ます。 一旦出た赤玉は各々同じ価値(=1等)なのです。

巷間の(特に馬券に主眼を置くファン向けの)血統関連本は「この赤玉はどちらのガラポン器から出たのか?」のような議論に終始しているような気がするのです。 「ノーザンダンサー系の特徴はこうだ」といった半世紀以上も前の馬の系統の特徴を論じるのはその最たる例だと思います。

あくまで血統の詳細な検討は、配合の検討段階においてこそ肝要です。つまり生産者自身が自分のガラポン器に赤玉をどれだけたくさん仕込めるかが最重要事項なのです。 一般ファンはガラポン器から出たあとの玉しか見ていないのですから、馬券検討においてディープに血統を検討することに(上述のような市販本に書かれていることに) 確かな意味があるとは残念ながら思えません。競馬を楽しく観戦するネタの1つにすぎないでしょう。

あらためて、治郎丸氏の今般の書物は競走馬の個性をリアルに判別する上で非常に有用なものです。上述の赤玉を例にすれば、その赤色の濃淡や輝き具合、 玉の材質や重さの検討のようなアプローチだと思います。今後も氏の新たな著作が楽しみになります。

(2018年4月14日記)

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