先入観

昨晩は、ドラマ『ザ・ロイヤルファミリー』の第2回でした。説明するまでもないですが、競馬界が舞台となっています。 その昨晩の放送で、ダートのレースばかりを使ってきた馬を芝に使う、逆に芝のレースばかりを使ってきた馬をダートに使うという調教師の方針に、 佐藤浩市さん演ずる馬主が猛反発するというシーンがありました。このシーンを見て、私が以前から思っていることをちょっと書きたくなりました。

毎年、JRAの新馬戦が始まると私は、どのような血筋の馬たちがデビューするのかとその出馬表を眺めるのですが、 普段は馬券はほとんど買わないため、レース当日になってJRA のウェブサイト中の「メイクデビュー」と書かれたレースをクリックして、各馬の父母名を漠然と眺めます。 その際、その新馬戦のコース情報(距離、芝 or ダート)など見ずに眺めることもあるのですが、 その出走各馬の父親の名を眺めて、「これはダートのレースだな」とすぐにわかることがしばしばです。

つまり、俗に「ダート血統」と見なされている種牡馬の名のオンパレードになっているからです。 しかし、当該種牡馬の産駒の好成績は、確かにダートに傾いているのかもしれませんが、 ダートの新馬戦の出走馬の父名が、どうしてこれほどまでに偏るのかと思ってしまうのです。 評論家やファンのレベルならまだしも、生産者も、馬主も、調教師も、「この血統ならダートだ」という考えに支配されていることはないですか?

話は単純ではないことも確かです。芝のレースは、社台グループを中心とする勢力に席巻されており、 日高の中小の牧場における配合検討では、ダート中心に目が行くのは当然でしょう。 そうなると、そのような牧場における生産は、ダートに向いている種牡馬をどうしても選ばざるを得ないのでしょう。

……と、敢えていま、「ダートに向いている種牡馬」と書きましたが、これを正確に言えば「ダートに向いていると信じ込まれている種牡馬」なのかもしれません。 つまり血統過信に基づく先入観ではないかということです。 これは「血統派が嵌まる罠」に書いたインフルエンサーの方の言葉とも通じてくるような気さえしたのです。

ソダシが秋華賞で1番人気ながら10着に敗れた後、某掲示板には「ダートを使うべき」というようなコメントがたくさんあったことも思い出します。 父クロフネは芝とダートの双方で活躍した馬であること、母ブチコがダート巧者であったことがそのようなコメントを発する者の思考の源であったと推察します。 実際にソダシはその後、チャンピオンズC、フェブラリーSとダート戦に使われましたが、GI2つを含む芝の重賞5勝馬の芝での単発的な惨敗の直後に、 ダートを使えという声がたくさん出てくること、そして実際に使われたことが私には不思議でなりませんでしたし、かなりの違和感を覚えました。 以前、ソダシに近い関係者に「あの時、なぜダートを使ったのか?」という質問を投げたことがあるのですが、明確な答えはありませんでした。 そのダート2戦の後、ソダシは芝のヴィクトリアマイルを快勝したのはご存じのとおりです。

そのソダシの全妹のママコチャは、次はJBCスプリントを予定しているようですが、好走するかもしれませんし、惨敗するかもしれません。 これだけは蓋を開けねばわかりません。少なくとも関係者は、ソダシの時に見たようなサークル内の空気に左右されることなく、 そして「血統」という先入観に支配されることなく、純粋にこの馬にダート適性があると見込んでの参戦だと信じております。

(2025年10月20日記)

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