完全な血統書など存在しない(その1)
サラブレッドの父親の父親の父親と延々と遡ると、1700年前後の3頭のいずれかにたどり着く……。
その3頭とは、Darley Arabian(1700年生)、Godolphin Arabian (1724年生)、Byerley Turk(1680年生)であり、これを「三大始祖」と俗に言いますが、
競馬ファン以外の方にも三大始祖のことは案外と知られているようです。一種の歴史的ロマンとして認知されているのでしょう。
しかし、本当にこの3頭が現在のサラブレッドの父系の三大始祖なのでしょうか? 確かに既存の血統書に基づけば必ずこの3頭にたどり着きますが、
その「血統書」の記録を本当に信用してもいいのでしょうか?
考えてもみて下さい。DNA解析のような科学的手法が確立したのはつい最近の話です。それ以前もできる限りの親仔鑑定はなされてはいたのかもしれませんが、
18世紀や19世紀のみならず20世紀前半においても血統の記録は甚だ怪しいものです。拙著にも書きましたが、70年代から80年代にかけて中堅の活躍馬を数多く輩出したネプテューヌスですが、
『日本の種牡馬録1982年版』(サラブレッド血統センター)に掲載されている5代血統表の母の父の欄は「Tornado or Victrix」となっています。
これは、2代母BarberybushにTornadoを交配するも不受胎で、改めてVictrixを交配し受胎して生まれてきたのが母Bastiaであるものの、
BastiaはTornadoの仔であることも完全に否定できなかったことを露呈しています。
また、細胞内小器官であるミトコンドリアのDNA(遺伝子)は母親からしか授かりません(=母性遺伝)。よって、
同じファミリーの馬は必然と同じミトコンドリアDNAを持つはずですが、2013年に『Journal of Animal Breeding and Genetics』という科学誌に掲載された論文には、
血統書上のファミリーナンバーに合致する解析結果が出た馬は実に6割に留まると書かれています。
三大始祖の話は、サラブレッドを語る上でロマンに溢れる話です。なので、上記のようなことを述べれば「夢を壊すのか?」と言われてしまいそうですね。
しかし、限りなく間違いに近いであろう不確かな事柄を事実として確定させてしまい、全てをその「事実」の上で論じてしまうことは、
はっきり言って私は間違いだと思います。
私が小学校や中学校で習った鎌倉幕府の成立年は「いい国つくろう」で覚えたとおり1192年でしたが、最近私の息子が朝日新聞からもらった歴史年表には
「1192年ごろ」となっていました。歴史上でこのようなことが多々あるであろうことは容易に想像できます。「歴史的事実」とされるものは、
或る意味で「伝言ゲーム」と相通ずるものがあります。誰かが「かもしれない」という軽い気持ちで言ったものが、次第にそれが確かなことのように情報がデコレーションされ、
最終的には「事実」として確立する……。
サラブレッドの血統においても不確かな記録は不確かであると認めた上で、物事を論じていくべきではないでしょうか? そうでなければ、
ヒカルイマイ、ランドプリンス、ヒカリデュールといった「サラ系」が、
卓越した競走成績を残しながらも『競走馬ファミリーテーブル』に掲載されていないということにやりきれなさばかりが残ってしまうのです。
(2018年1月6日記)
「完全な血統書など存在しない(その2)」に続く
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