完全な血統書など存在しない(その2)
私が競馬を観始めた1976年から77年頃、JRAという略称もまだなかった日本中央競馬会のテレビCMに、「人と馬の300年ロマン」 というキャッチフレーズのものがありました。
ちょっと検索してみたら、平松さとしさんの こちら のツイートが見つかりました。
いやぁ、このメロディー、本当に懐かしい! 平松さんのおっしゃるとおり、歴代のCMの中でもピカイチだったと思います。
この 「300年」 とは、1979年には英国ダービーが記念すべき第200回を迎えることにリンクさせ、これら馬たちの父の父の父と遡ると、
1700年前後の3頭のいずれかに辿り着く……、そのような 「いくつもの時代を経た確かな血統記録あっての "サラブレッド"」 がモチーフとなっていました。
しかしです、ここからはその夢をブチ壊すようなことを書き始めるので、まずは事前にお詫び申し上げます……。
以前、こちらの 「完全な血統書など存在しない(その1)」 にも書いたとおり、
サラブレッドの血統書は誤りだらけというのが実際です。これについては拙著 『サラブレッドの血筋』(初版、第2版)では 「2.血統書の不確かさについて考えてみる」
の章で詳述しましたし、4年前にサラブレ編集部が発刊した 『サラBLOOD! vol.4』 に寄稿した 「最新研究と現代目線で読み解く真なるファミリーラインのかたち」
でも論述しました。私が今まで見つけてきた 「過去の怪しい血統記録」 を改めて全て語り始めると際限なくなるので、以下、いくつかの例を示しながら、
論点を整理して論述してみます。
1. 馬名に見る血統記録の怪しさ
2015年のペルーのダービーである Derby Nacional に勝った Nieto Mireyo の17代母(1854年生)の名前は Fernhill or Gleam Mare。
これ、1頭の馬の名前であり、「Fernhill」 または 「Gleam Mare」 の意味ではないですよ!
この牝馬の父親は血統書上では Gleam となってはいるものの、もしかしたら Fernhill かもしれないということをこの名前自体が暴露しています。
こんな名前が 「サラブレッドの血統書」 に正式なものとして登録されているのです。こんな例は山ほどあります。
2.『競走馬ファミリーテーブル』 の誤り
牝系資料で最も権威ある 『競走馬ファミリーテーブル(第4巻)』。しかし、前回 も書いたとおり、怪しい記載がいくつもあります。
散見されるのは 「その両親からその毛色の仔は絶対に出ない」 という例であり、例えば、
14-c 族の1980年生まれの Gradille は こちら のとおり 「gr(芦毛)」 となっています。
その母 Gradiva は 「ch(栗毛)」 となっており、そうすると父は芦毛馬でないと辻褄が合いませんが、父である(はずの) Home Guard は黒鹿毛のようで……。
たかだか40年前の馬でさえ、こんな感じです。
まあ、毛色の記載ミスなどはたいしたことではないのですが、根幹馬レベルでの樹形図記録に誤りがあると看過はできません。こちら をご覧下さい。
9-g 族の根幹牝馬は Y. Melbourne Mare で、その娘の Au Revoir と Ante Diem は添付中の矢印のとおり、いずれも生年が1877年となっています。双仔か?
と思ったものの、前者の父は See Saw、後者は Musket。過去の記録の脆弱さが分かると思います。
19世紀の終わりの馬の記録がこのような様相であり、それでは18世紀は?……と考えると、自ずと様子が想像できるはずです。
3. 真実を明らかにする科学論文
2013年に発表された 「Thoroughbred racehorse mitochondrial DNA demonstrates closer than expected links between maternal genetic history and pedigree records」
という論文では、296頭のサラブレッドにおけるミトコンドリアの遺伝子を解析したところ、各母系における多数の遺伝子不一致例が発見され、
血統書上のファミリーナンバーに合致する解析結果が出た馬は実に6割に留まったとのことです。
また、2017年に発表された 「
Y Chromosome Uncovers the Recent Oriental Origin of Modern Stallions」 と題された論文では、Y染色体上の遺伝子解析を行ったところ、
いくつかの父系記録の誤りが見つかったようであり、その1つとして、St. Simon 系の父祖でもあり Eclipse の仔とされている King Fergus ですが、
どうも Darley Arabian 系ではない様子です。
このような科学的報告は予想どおりだと私は思うのですが、こちら で言及した山野浩一さんの記事には
「サラブレッドのほとんどがエクリップスのY染色体を受けていることにもなるが」 とあり、
これを読んだ時に私は、「山野さんでさえそんな 『おとぎ話』 を信じてしまっているのか……」 とかなりの衝撃を受けたことも思い出しました。
以上のようなことに鑑みて、ひとつ確実に言えることは、ヒューマンエラーはいつの時代においても必ずあるということです。
自分なりに多重チェックを行いながら日々母系樹形図の加筆に精を出している私でも、間違えることは確かにあります。
だからこそ、何らかの誤りを見つけたなら、相互に協力的に連絡し合って、また、誤りは誤りであると互いに認め合って、随時修正し改善していくことが必須と私は考えるのです。
しかし、上述のように遺伝子解析に基づく立派な科学論文がいくつも発表されても、具体的な血統書修正に対する動きの気配が日本のみならず世界的にも全く感じられないことは、
このこと自体が、「競馬界」 という世界的な 「ムラ社会」 におけるタブーを意味するわけです。
世界のどこの競馬関連組織にこのような改善案を持ち込んだとしても、こちら でも触れた日本ウマ科学会と同じような反応が残念ながら返ってくるのでしょう。
カッコウという鳥の 「托卵(たくらん)」 の話を聞いたことはあるでしょうか?
こちら や
こちら にあるとおり、
カッコウは自分では子育てをせず、他の鳥の巣に産卵して、抱卵から雛への餌やりまで子育てを他の鳥に任せてしまうのです!
先に孵化した 「よそ者」 のカッコウの雛は、孵化前の他の卵を巣から蹴落とし、自分のみが成長していく……。
自然界の奥深さと残酷さを垣間見る思いですが、その雛を 「自分の仔」 と信じ込んで疑わない托卵された親鳥を哀れと思うかもしれません。
しかし……、われわれ人間の世においても、あらゆる所で、その中身を全く疑うことなく信じ込んでしまっている私たちがいませんか???
以前どこかで、「世の全ての父親は自分の子供を 『自分の子供』 と信じ込んでいるに過ぎない」 という言葉を聞いたことがあります。
何事に対しても、何ら疑心暗鬼になることなく、純粋に信じ込む……そんな在り方が、もしかしたら真の幸福なのかもしれませんね……。
(2019年11月23日記)
「完全な血統書など存在しない(その3)」に続く
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