完全な血統書など存在しない(その3)
ショッキングなニュースが飛び込んできました。
サラブレッドの生産は自然交配がルール化されており、人工授精、胚移植等の人為的操作は一切禁止されていますが、
こちらの記事 のとおり、
オーストラリアで「代理母出産」の疑惑事例が発見されたということです。
これについては的確な調査を期待し、もしもそれがやはり事実であったなら厳罰を願い、とりあえずは動向を見守りたいと思いますが、
上記記事にもあるとおり、このような事例の根絶には現場の倫理に頼らざるを得ないというのが実際です。
つまり、サラブレッドの生産、さらには健全な競馬の運営とは、ホースマン各位の善意があって初めて成り立つということなのですが、
そうするとやはり、過去の血統記録についてもあらためて色々と考えてしまったのです。
先日、『血統と系統と伝統。』(増田知之 東邦出版)を読みました。その「まえがき」に
「300年以上の長きにわたり連綿と競馬が存続し発展している理由はただひとつ。それは競馬が途切れない『記録の産物』だからである」、さらに
「この源流が18世紀に英国で創刊された画期的な書物『レーシング・カレンダー』(競馬成績書)と『ジェネラル・スタッドブック』(英国サラブレッド血統書)である」とあり、
18世紀、19世紀の先人が近代競馬の礎を築き、その恩恵をわれわれが受けていることがよく分かります。
一方で、この本には「この歴史的出版物作成のその最大の動機は、『過ったり、あるいは正確ではない血統による汚染の拡大から競馬の世界を守る』ことであった。(中略)
かように、競走馬の特徴記載のない『ジェネラル・スタッドブック』以前の時代の競馬は、替え馬や詐欺行為もある混沌としたグレイな世界でもあった」(50〜52頁)とあります。
しかしです、現在は本当にその「グレイ」から抜け出せているのでしょうか?
これについては、拙著『サラブレッドの血筋』の既版では「血統書の不確かさについて考えてみる」と題した章で詳述しましたし、
本コラム欄でも「完全な血統書など存在しない」と題したものを (その1)、(その2)と書いてきました。
(その1) ではネプテューヌスの血統表の怪しき記載について触れましたが、この馬を含めてサラブレッド血統センター発行の『日本の種牡馬録』
に同様の怪しき記載があった馬の血統表を以下に挙げてみます(順不同)。
アラナス ラインゴールド ネプテューヌス
ソロナウェー カナディアンチャンプ ハクリョウ
シューティングチャント ゴールデンプルーム テストケイス
ロンバード アイグル
「… or …」のような記載に最初に気づいたのは1970年代、クラシック等の大レースに勝った馬はその5代血統表が月刊『優駿』に掲載されましたが、
そこにあるこのような奇異な記載に「これは何を意味するんだ??」と思ったのが始まりです。
つまり、サラブレッド関連書物をほんのちょっとでも眺めればいくらでもこのような記載に誰でも気づいたはずですが、後年、
これに関する議論は私レベルでは見聞したことがありません。
そのような過去の記録の再確認を行うことを現在の世界のホースマンは怠けているのか? 分かってはいるがパンドラの箱を空けないようにしているのか?
上記については、その両方だと思っています。
私は2015年に『サラブレ』編集部が発行の『サラBLOOD! vol.4』に「最新研究と現代目線で読み解く真なるファミリーラインのかたち」
と題したものを寄稿しました。発行後、この内容について何らかの反応がいくつかの方面からあることを期待したのですが、残念ながらいまだに何もありません。それが現実です。
あらためて増田知之氏の『血統と系統と伝統。』には、「恐らくすべての生産者が正直で善意の持ち主であるとして、信頼を寄せうるわけではなかったであろう。
よからぬことをしている連中は序巻が刊行される前には広く行われていた "誤っていたり不正確な血統記録" を一種の既得権だと心得ていたのである」(154頁)とあります。
さらに、「だからこそ、『ジェネラル・スタッドブック』の編纂者はあやふやな馬の事実関係の調査を続けながら一度は記載しても次の改訂版から削除した。
また、提供記録に不審感の残るものには『ある馬は○○との間に生まれた牝馬の母であるといわれているが、その血統を十分に証明するものはなく、
純血馬であるかどうかも疑わしい』などとその旨を記載したうえで掲載したりして、時間をかけながら生産者の善意ある協力関係を築く努力をしつつ、
より完璧に近い『ジェネラル・スタッドブック』を作り上げていった」(154〜155頁)とあります。
今後、科学的な解析によって何らかの誤りが過去の記録に見つかったならば、こちら に書いたような利害関係に縛られることなく、
それを真摯に修正していくのが『ジェネラル・スタッドブック』のような素晴らしい書物を創刊した先人に対する敬意であり、
次世代に対する使命でもあると私は考えるのです。
(2021年2月21日記)
「完全な血統書など存在しない(その4)」に続く
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