国際化はまだまだ道半ば(その1)
昨日の宝塚記念、香港の年度代表馬にも輝いたことのある Werther が2着に入りました。
ところで、この馬のような海外からの遠征馬の名前の表記について、いつも思うことがあります。
ネット、新聞、雑誌の記事や出馬表においては、「ワーザー」というカタカナのみのものがほとんどです。
しかし、この馬の詳細を調べるには「ワーザー」ではなく「Werther」で検索しないと、まともなサイトにはたどり着けません。
ジャパンカップの創設当時は当然のことながらインターネットなどなく、競馬新聞の情報がほぼ全てであり、
その出馬表の各馬の父母名さえ各紙独自のカタカナ表記で、何が何だかさっぱり分からなかったことを思い出しました。
本家本元のJRAのウェブサイトでは英文名の「Werther」は併記されているはず……と思って改めて調べてみると、
「出馬表」「レース結果」「競走馬情報」のページでは「ワーザー」の和名表記のみで、「JRAニュース」の記事のページになんとか英文名が併記されてはいました……。
確かにこの馬の場合は香港年度代表馬にもなったので、別途いくらでも「Werther」が正式名だということを調べられますが、馬券発売対象の海外競馬の各出走馬の場合など、
そう簡単にいかない場合も多いでしょう。各々の記事に一箇所でいいから英文名を記入して下されば、下手な手間をかけずに瞬時に有用なサイトの検索ができるのですが……。
1981年のジャパンパップ創設に始まり、80年代から90年代にかけて、JRAは国際化を大きく叫び始めました。海外に倣い、グレード制も導入しました。
けれども、インターネットなどない当時、一般ファンが海外の情報を入手しようとしても限界があり、このことに関する私のJRAへの要望を書いた
「海外文献購入の旅」と題した投稿が『優駿』1990年4月号に掲載されました。以下はそこからの抜粋です:
「日本の競馬もどんどん国際的になり、我々ファンも興味が深まるばかりです。しかしJRA側が国際化と言っても、ファンの側とすれば、
海外の情報や文献に接する場があまりに乏しいような気がします。東京、新橋のJRA広報コーナーにしても、海外の文献はほとんどありません。
この広報コーナーから歩いて7、8分の内幸町のビルの一角に『航空図書館』というのがあるのですが、ここには海外のそれこそ数多くの雑誌およびその他の文献があります。
これと比較するのはおかしいかもしれませんが、競馬に関する海外の文献に我々一般のファンはあまりに疎遠です。JRA側が真に国際化を考えるのなら、
我々ファンの側の国際化も同時に考えて頂きたいと思うのです」
以上は28年前の27歳の私の文章です。ここで言っている広報コーナーとは現在のGateJ.です。当時は日本で走る外国産馬のサイヤーラインさえ調べるのに苦労したものです。
来月は、海外からのバイヤーも多数押しかけて、セレクトセールが以前にも増して盛り上がりを見せるのでしょう。
しかし、たかだか馬名の英文併記のことだと思うかもしれませんが、今般の Werther の例に、日本の競馬サークルの国際化への順応はまだまだ道半ばであることが垣間見えます。
28年前の私の要望文書は、現在も競馬サークルに対してそのまま使えるような気さえするのです。
(2018年6月25日記)
「国際化はまだまだ道半ば(その2)」に続く
戻る