「なぜ?」と思うことの大切さ

池上彰さんの『わかりやすさの罠 池上流「知る力」の鍛え方』(集英社新書)を読み終えました。 日々原稿を書きながら「どうやったら上手く分かりやすく説明できるのだろうか……?」と悶々とする私なのですが、 この本では思わず唸ってしまう箇所が随所にありました。例えば、「アメリカの有権者は『難しい話を難しい英語で語る』ヒラリー氏を敬遠し、 『単純な話をやさしい英語で話す』トランプ氏の『わかりやすさ』を選びました」とあるのですが、われわれにも思い当たる節はないでしょうか?

「こんなときに、『わかりやすさ』の罠にはまっている場合ではありません。政治家が何か耳に心地よいことを言っても、『待てよ』と考え、自分で判断する。 その積み重ねがよりよい有権者をつくり、さらにはよりよい民主主義社会をつくっていくのです」との池上さんの言葉からも、 「なぜ?」と考えることの重要性を改めて認識させられます。

サラブレッドの配合のインクロス表記において、「×」と「・」を使い分けているのを見かけます。「×」はその共通祖先が父方と母方の双方にいる場合、 「・」はその共通祖先が父方か母方のいずれかのみにいる場合に用いられています。そこで思うのです。 その表記を用いた血統表や論述を読んでいる側のみならず、この表記を用いた側もそのように使い分ける意味をきちんと理解しているのでしょうか?  そもそも、この使い分けに「なぜ?」と思ったことはあるでしょうか?

共通祖先が父方と母方の双方にいる場合と、共通祖先が父方か母方の片方のみにいる場合の「科学的差異」について、 私は5年前に発刊の『サラBLOOD!』(vol.2)に寄稿した「警鐘 インブリードにおける諸刃の剣 〜サンデーサイレンス系繁栄への課題〜」で、 その寄稿依頼を受けた直前の京成杯を勝ったプレイアンドリアルの血統表を用いて説明しました。 また、拙著『サラブレッドの血筋』ではサトノクラウンとエルコンドルパサーの血統表を用いて詳述しましたし、 さらに本コラム欄のこちらではラッキーライラックを例に説明しました。

共通祖先が父方と母方の双方に存在しない場合はインブリーディングの科学的効果は皆無なので、 「×」とは分別した記号である「・」を用いることは確かに有用です。(※ 以下に注釈)

しかしですよ、この記号を最初に使い始めた者は、そもそもなぜ「×」と「・」と2種類の記号を使い分ける必要性があるのかを科学的に明確に説明していたでしょうか? また、この記号を使い続けている血統評論家も、その使い分けの科学的意義を理解しているのでしょうか?

そのような理解が乏しい血統評論家が、商業誌や商業サイトにこの記号を用いて「配合」を論じた記事を載せて原稿料をもらっているなんてことは、 本来ならあってはならないような気がします。例えば、「憲法改正を考えるシンポジウム」があったとして、そこに招待された憲法論者が、 憲法の条文内容を理解していないなんてことはありえない話です。

以前読んだ近親交配の意義を説く血統理論では、血統表の片親の側にのみ現れる共通祖先は考慮対象外とありましたが、これは科学的にも正しい。 しかし、この理論が根本的に問題なのは、そのように考えることに明確な理由を示さずに、これを「ルールである」と言い放っていたことです。 そして不思議なのは、このような説明に「なぜ?」と疑問を抱かずに、この理論を信じた者がかなりいたらしいということです。

複雑な情報化社会と化した現在、「フェイクニュース」が問題化しているように、身の周りに溢れる情報の真偽を判別する必要性が益々高まっています。 「なぜ?」「どうして?」……理由が不明確な場合には常にそのように思うことは非常に大切ですし、分からなければ積極的に調べる、聞き込む、 ということを習慣化する必要があるでしょう。

ちなみに、いま発売中の『優駿』2019年4月号の「重賞プレイバック」にある「5代までのクロス」ですが、 きさらぎ賞を勝ったダノンチェイサーには「Danzig 4×5」、東京新聞杯を勝ったインディチャンプには「Raise a Native 5×5」、 京都牝馬Sを勝ったデアレガーロには「Northern Dancer 5×5」、阪急杯を勝ったスマートオーディンには「Halo 4×4」、 中山記念を勝ったウインブライトには「Nijinsky 5×5」とあります。 これらがあたかもインブリーディングのように記載されているのは全くの論外で、JRAの機関誌たるものがいつまで読者を誤解させ続けるのかと思ってしまうのです。

(※)ただし私は「・」のような記号を用いることが適切とは全く思っていません。 一部の書物やサイトでは、共通祖先が父方にいる場合はSireを語源に「S」、母方にいる場合はDamを語源に「D」(「JBISサーチ」はMareを語源に「M」) の記号を用いています。よって、共通祖先が父方のみにいる場合は「S×S」、母方のみにいる場合は「D×D」ですが、「・」を用いた場合、 「S4×S4」や「D4×D4」は「4・4」、「S4×D4×D4」なら「4×4・4」と表記されます。 しかし「S4×S4」や「D4×D4」はインクロスではないことから記載不要であり、「S4×D4×D4」の場合なら「4×(4×4)」と表記するのが誤解がなく、 拙著でもこのことは詳述させて頂きました。

(2019年3月30日記)

戻る