馬の売買契約書に思うこと(その2)

前回、独禁法の禁止行為である「優越的地位の濫用」の話にもちょっと触れましたが、その後、 今般の吉本興業の騒動に関しては こちら の記事にも見られるように、 この違法行為に言及されることが多くなってきました。

今般の件で私がまず思ったのは、「吉本の顧問弁護士は節穴か?」ということです。上記の記事にも以下が述べられています:

「それにしても不思議なのは、吉本HDという会社には、社外取締役、社外監査役に、東京の大手法律事務所所属弁護士なども含む4名もの弁護士がいるのに、 なぜ、芸人・タレントとの間で契約書すら交わされていない『無法状態』が放置されてきたのかということだ。 吉本HDの社外役員というのは、それ自体が一つのステータスということなのであろうか」

全くもって不思議な話ですが、想像するに、経営トップが「法律がなんだとか細かいこと言うな。言われたことだけやってろ!」という調子だったのではないでしょうか。 少なくとも、顧問弁護士を機能不全に陥らせていたトップによる「芸人は家族なのだから書面の契約は必要ない」との発言には本当にやりきれなさを感じました。

前置きはここまでにして、馬の方に話を向けましょう。 こちら が日本軽種馬協会のウェブサイトにある売買契約書の雛形です。 前回も書いたとおり、内容について思うことは色々とあるのですが、買主の契約違反(債務不履行)により契約を解除したとしても、 締結から解除までは相応の時間が経過してしまっているわけであり、日々成長する生き物たる馬を契約締結時と同じ状態で返却することなどできません。 つまり「原状回復」など不可能なのです。

だからこそ、そのような場合の売主に対する買主の補償(および保障)義務をもっと具体的に契約書には盛り込むべきではないかと私は考えます。 馬の返却時の輸送手配義務、その費用負担、引渡し場所の明記などもそうですが、この雛形の第10条では金銭的補償のことしか書かれていません。 いくらなんでもこれでは不十分ではないでしょうか?

さらに、この雛形の第13条には管轄裁判所まで定められています。もしも法的に訴えたいと思ったら、この契約書に基づけば札幌地裁に提訴する必要があります。 安易にこの第13条のような条項を盛り込んだ契約書は散見されるのですが、いざ裁判沙汰となりその手続きが始まれば、費用、時間、労力などは尋常ではありません。 よって、一介の者がそう簡単には裁判などには踏み込めないのが現状です。

紛争解決手段として、海外との契約書では多く定められているのが「仲裁」です。端的に言えば「裁判」に代わるもので、 日本には こちら のような機関があり、以下のようなメリットがあるとされています:

@早い: 三審制の裁判と違って仲裁は上訴ができなく紛争解決が速い。
A安い: 裁判の費用は馬鹿にならなく、シンプルな手続きである仲裁は費用負担も少ない。
B専門家による裁定: 裁判官は法律家ばかりだが、仲裁はその筋の専門家を当事者間で選出して裁定を下してもらえる。
C秘密性: 裁判は公になされるが、仲裁は秘密裡に進められる。

@とAを見て、どこかの牛丼屋を思い出した人もいるかもしれませんね。 しかし、私の経験では、国内の当事者同士の契約書における紛争解決手段に「仲裁」を定めたものはあまり見たことがありません。 或る意味で不思議なことです。契約書を作る弁護士にしても仲裁には馴染みのない者が多いことも推察され、 年配のお医者さんは昔から使っている薬ばかり処方するのと似たようなものかもしれません。

いずれにしても、契約の対象物が生物(←「なまもの」と読んで下さい)たる馬なのですから、その売買においては時間が勝負であり、 そのような視点からも契約書を見直していく姿勢が必要です。

吉本の人間が馬を買いに来たら契約書は不要と言いそうですが、一介の生産者がそんなバイヤーに理路整然と契約書の必要性を説くことは難しいでしょう。 買主の義務を増幅した内容の契約書ならなおさらです。 そんなときのために、「生産者は最低限でもこの内容の売買契約書を締結するようにと協会の指導があり……」と、 多少の仕方なさや申し訳なさの表情を浮かべながらお願いすることは非常に意味があり、軽種馬協会や各農協のような組織にはもう少々頑張って頂きたいのです。

一方で、僭越ながらも生産者各位に申し上げたいことは、「契約の当事者」とはまさしく自分であり、最終的にはそこに書かれた合意内容(=「権利」と「義務」) を自らで理解して行動しなければならないということです。弁護士にしても商売です。 仮に契約内容について弁護士のアドバイスをもらった場合でも、通常の弁護士は、クライアントの個々の利害を最後までフォローしようとするような、 つまり吉本興業のトップが言い放つ「家族」という思いまでは持ってはいないのが通常でしょう。繰り返しますが、最後は「自分」であるということです。

今年は9月に青森、10月に日高の生産地を訪問します。 生産者の方々の日々の何気ない話を聞くと、今後何を書いていくべきか、何を研究していくべきかの着想が湧いてくるのです。 生産界を取り巻く「契約の実態」についても可能な限りお話をお聞かせ頂きたいと思います。

生産界に対して私にできることの探究も継続して参ります。なにせ私にとって生産者の方々は「家族」なのですから!

(2019年7月28日記)

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