ここからが正念場の日本の生産界

ディープインパクトが死にました。さすがに何かぽっかりと穴が開いたような気持ちになります……。

ひとつの時代が終わりました。つまり、また新たな時代が始まるのです。私はその「新たな時代」は日本の生産界のまさしく正念場のような気がしているのです。

至宝種牡馬が他界したからではありません。 彼の死は少々早かったものの、永遠に生き続けるわけではありませんでしたし、こればかりは多少の時差があったということにすぎません。 私が「正念場」と思っているのは、あまり不安は煽りたくはないのですが「セントサイモンの悲劇」のフラッシュバックのごとく、 もしかしたらここからが「サンデーサイレンスの悲劇」、さらには「ディープインパクトの悲劇」の開演ではないかと、彼の死をもってあらためてそれを感じ始めたからです。

振り返れば、サンデーサイレンスの仔は1994年にデビューし、25年の歳月が流れました。 16歳で死亡したサンデーサイレンス、17歳で死亡したディープインパクト。 しかし、Mr. Prospector のように、彼らが30歳近くまでバリバリに現役種牡馬だったらどうなっていたでしょう?  その顛末を具体的に想像した者はどれだけいたでしょうか?

私の中では以下のとおり、悲劇の始まりを想起するいくつかの胸騒ぎがありました。

第1の胸騒ぎが、2011年のオルフェーヴルが勝った日本ダービー。出走馬18頭は全てサンデーサイレンスの孫でした。 これこそ日本産馬における遺伝子構成の極度の偏りの始まりを物語っています。

第2の胸騒ぎが、ドゥラメンテが種牡馬入りする際の社台のスタッフのコメント。 「この馬は歴代の社台名血の集大成でもあり、交配相手は輸入馬が中心となる」という趣旨でしたが、良血濃縮馬の配合相手の袋小路を連想します。

第3の胸騒ぎが、過日書いた「近親交配(インブリーディング)とは何か?(その6)」で言及した論文です。

サンデーサイレンスは日本競馬史において類を見ない種牡馬であり、さらにディープインパクトを中心とする後継種牡馬により、 日本の生産界は非常にいびつな「遺伝子プール」となっていることは疑う余地がありません。 あらためて生産者各位には、自己保有の牝馬にどれだけサンデーサイレンスの血が入っているかを確かめてみてほしいのです。 さらには、一定規模以上の牧場であれば、ディープインパクトの血の占有率も高くなりつつあるでしょう。

サンデーサイレンスの血を持たない新種牡馬のサトノクラウンがかなりの人気と聞きますが、これは生産者における数少ない選択肢の1つなのかもしれず、 そうだとすると、日本の生産界はまともな配合の検討さえも厳しくなりつつあるということを意味します。

「悲劇」などと言って不安を煽ってしまいましたが、杞憂に終わればそれはそれでこしたことはありません。 しかし、実際に悲劇が開演し、それがクライマックスに達してしまうと、そう簡単にはあとには戻れないという覚悟が必要です。 人気種牡馬の年間種付頭数は200頭以上が当たり前となって生産馬全体における遺伝子構成の偏りが益々助長される状況下、 その悲劇の脚本たる「遺伝的多様性の低下およびその影響のメカニズム」だけは生産者の方々にはしっかりと認識して頂きたいのです。

そんな私の想いはよそに、来年のセレクトセールでは、ディープインパクトの忘れ形見に狂乱の札束がどれだけ舞うかは見物です。

(2019年8月4日記)

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