一枚岩への足かせとなる日高の「櫛の歯構造」

先週の天皇賞は、あらためてアーモンドアイの凄さをまざまざと見せつけられましたね。 私も現地で観戦しましたが、競馬の醍醐味を堪能した気分になりました。

ところで、以前 (1980年まで) は、天皇賞を一度勝った馬は二度と天皇賞には出走できなかったことをご存知でしょうか?  テイエムオペラオーやキタサンブラックの天皇賞3勝など、その昔は制度上ありえなかったのです。 これは俗に言う 「勝抜制」 であり、その栄誉を多くの馬主にという配慮や、一度その栄誉を得た馬が再度出走して大敗でもしたならその名を汚すことになるから等、 この制度の理由については諸説あります。 いずれにしても、天皇賞のようなレースに一度勝った馬は確かな 「お墨付き」 を得たことになるわけで、 思うに、例えば国民栄誉賞を同じ人物に複数回与えることはないのと、そして、 プロ野球界で国民栄誉賞をもらったA氏とB氏に甲乙をつけることはないのと、似たようなものかもしれません。

競馬の原点は 「能力検定」 でもあり、昔は、現在のようにエンタメ精神に基づく最強馬を決めるというような 「優勝劣敗」 の感覚はそれほどありませんでした。 その 「優勝劣敗」 の流れの中で、確実に成功を収めたのが社台グループの中でもノーザンファームであり、日本競馬のレベルアップおよび文化向上には多大な影響を与えました。

そして、社台が導入した名血は当然のことながら日高も恩恵を受けることから、日高のレベルアップは社台のお蔭のようにも言われます。 そのとおりではあるのですが、ここでちょっと立ち止まって考えてみたいのです。 日高を中心とする中小の生産者は、日本産の馬のレベルアップやその文化向上など、もしかしたら他人事なのではないでしょうか?  つまり、これらは二の次の問題であって、マーケットブリーダーにとっては、いかに自己生産馬が売れるかという目の前の生活が最優先であるはずです。当たり前の話です。

1970年代から80年代のブームに沸いたあの頃は、生産すれば売れたという状況もあったかもしれませんが、 内国産馬優遇措置や外国産馬の出走制限の厳しいせめぎ合いの歴史など忘れられつつある現在のサークルにおいて、 ファンやオーナーは当然のことながら 「最強馬」 を追い続けます。 中小はその優勝劣敗の荒波に突如巻き込まれてしまったわけで、その瞬時変化に対応しきれていないように見受けます。

ところで、いま、元JRA経営委員で札幌大学名誉教授である岩崎徹先生の 『馬産地80話』(北海道大学出版会)と 『競馬社会をみると、日本経済がみえてくる』(源草社) を読み直しているのですが、これら著書の中で 「櫛(くし)の歯構造」 という言葉が出てきます。

『馬産地80話』 には、「日高地方は、地勢的には独特の構造をもっています。山地より沢沿いに小河川が並行し海に注ぎ込み、 河川に沿って形成された狭小な平坦部に農業が立地する土地利用を、われわれは 『櫛の歯構造』 と呼んでいます」(214頁)とあり、さらに、「『櫛の歯構造』 という地形のため、 耕地面積が狭いだけでなく、歴史的に集落間の交流は少なく分断、孤立状態におかれ、住民の視野は狭く、協力関係が鈍いといわれています」(215頁)とあります。

また、『競馬社会をみると、日本経済がみえてくる』 で岩崎先生は、「私は、講演の度に 『日高の人たちは、協力すべき時に足を引っ張り合い、競争すべき時にもたれあっている』 といって批判してきた。その是非はともかく、このような意識構造と 『櫛の歯構造』 とは関連があるとみてよいだろう」(197頁)とおっしゃっています。

まずは、社台と対等に競争していくためにも、日高内部での足並みを揃えていく必要があります。 過度の優勝劣敗の状況下で、生産や育成の各段階で科学的データを駆使することは益々不可避となりつつあります。 しかし、例えば 「遺伝」 の講習会のようなものは現地では皆無のようで、遺伝の基本メカニズムさえ理解している生産者はごく少数にすぎないというのが私の率直な印象です。 こちら では社台の採血の話をちょっと批判的に書いてしまいましたが、その一方で、牝馬を持ち込んだ生産者は、 その血液を何に使うのかの疑問を抱く意識が稀薄ではなかったでしょうか?  私自身、日高を訪問しても、遺伝の話は小難しいと遠回しに避けられてしまうこともあります。 サラブレッドは 「血統」 とも言われ、「血統」 は 「遺伝」 と表裏一体なのに……と思うのですが。

本コラム欄では何度も触れた遺伝的多様性低下の問題に対しても、生産者同士での認識共有がない限り、なんらの方策も打ち出せないでしょう。 これからは海外の生産界、海外でなくとも国内に進出してくる外資との競争も激化するはずであり、社台と連携して国際的に闘っていくためにも、 櫛の歯を越えて一枚岩になる必要性があることに間違いはありません。

けれども、そのような旗振りは生産者自らがやるには限界があります。 軽種馬協会や各種農協のような組織が確かな意識を持って対応すべきだと切に思うのですが、果たして……。

(2019年11月4日記)

戻る