「リーディング」という言葉の向こうに……

あらためて、先週のGI(阪神ジュベナイルF、香港国際競走)、そして今日のGI(朝日杯フューチュリティS)にМ.デムーロの名がないことに違和感を抱いています。 現時点でのリーディングは7位で、トップのC.ルメールには大きく水をあけられており、スランプ説も含めて噂はいろいろと聞きますが、 冷静に眺めてみても、「恣意的な何か」 が働いていることに疑う余地はないでしょう。

ここでちょっと、以下の3つの 「リーディング」 について考えてみたいと思います。

 @リーディングジョッキー
 Aリーディングトレーナー
 Bリーディングサイヤー

これら 「リーディング」 の座ですが、特に最近は、如何様にもそこに外部の力が作用しうるような気がしているのです。

まずは@ですが、上述のようなデムーロに対する扱いを見ると、その順位は純粋な実力とはかけ離れたものがあるような気がします。 各陣営の各騎手への騎乗依頼にしても、例えば来週の有馬記念に向けた動きを眺めると、当初ルメールはフィエールマンに騎乗予定も、 アーモンドアイが参戦を表明したことを受けて、やはりと言うかこちらに騎乗することになりました。 確かにフィエールマンへの騎乗は確約ではなかったのかもしれませんが、(あくまで表面上は)馬主も厩舎も違うこの2頭の間に流れる空気の動向を追ってみると、 その背後に存在する組織の意向によって方向性は定まることが察知されうるわけです。

それを思うと、善し悪しは別にして、昔はもっと 「個の意思」 がはっきりしていましたし、ふと、シリウスシンボリのダービーの鞍上騒動を想い出しました。 あの頃におけるそんな個の意思はスケール的にはたかが知れており、異なった馬主や厩舎の間にまで一律的に作用することはありませんでした。

Aについても、基本は@と同じでしょう。良い馬を預かることができなければ、当然のことながらまともな結果は出せません。 寡占化が進む生産界であり、確かな生産者(およびそこの息のかかった馬主)との強いパイプが命綱であり、その意向に従わなかった場合は言わずもがなです。

そしてBですが、まず、@やAとの大きな違いは、人間ではなく馬であるということです。

こんなことを想像してみましょう。 素晴らしい素質の騎手や調教師がいたとして、そんな逸材とタイアップすべく、その素質を伸ばしてあげようと手を差し伸べた競馬関係者がいたとしても、 うまくいかないことも少なくないと思います。当たり前の話ですが、彼らは確たる 「意思」 を持っているからです。

他方、海外から新たに輸入した名牝をこぞって交配相手に用意するディープインパクトのような種牡馬の立ち位置を想像してみると、 まさしくリーディングサイヤーに向かって直線的に敷かれたレールに乗せられたようなものです。 「馬」 にはレールに乗ることを拒む意思も術もありません。 ウォーエンブレムのような曲者でない限りは、「オレ、この黒鹿毛の鼻の穴がでかい娘は好みじゃない!」 などと言って反抗することもなかったでしょうから(多分)、 目指す姿(=リーディングサイヤー)に仕立て上げることはそれほど難しいことではなかったはずです。

先日、文部科学大臣の 「身の丈」 という発言が物議を醸しました。「親の収入」 と 「子の成績」 には相関関係があると言われて久しいですが、 人の世においても、馬の世においても、自らが動かすことのできない現実があることは、残念ながら紛れもない事実です。

こちら にも書いたとおり、ディープインパクト、キングカメハメハ亡きあとのロードカナロアという新ブランドの確立は社台にとって必須でしたが、 種付料2000万円ながらも既に満口ということは、十分にそのブランドが確立したことを意味するところです。 あとは自ずとリーディングサイヤーの座が待っているのでしょう。

(2019年12月15日記)

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