補足遺伝子
イギリスの生物学者リチャード・ドーキンスの名著である 『利己的な遺伝子』 はいつか読もうとは思っていたものの、
ページ数の多さからも先送りにしていたのですが、一昨年に発刊された 40周年記念版 を遅ればせながら先日購入して、ようやく読み始めました。
この本の帯には 「すべての生物は、遺伝子を運ぶための生存機械だ」 とあり、そして第3章 「不滅のコイル」 には以下のような一節があります:
「一つの生存機械は、たった一個のではなく何千もの遺伝子を含んだ一つの乗り物(ヴィークル)だ。
体を構築するということは、個々の遺伝子の分担を区別するのがほとんど不可能なほど入り組んだ協同事業である。
一つの遺伝子が、体のさまざまな部分に対してそれぞれ異なる効果を及ぼしうる。
また、体のある部分が多数の遺伝子の影響を受ける場合もあれば、ある遺伝子が他の多数の遺伝子との相互作用によって効果を表すこともある。
また、なかには、他の遺伝子群の働きを制御する親遺伝子の働きをするものもある」
或る意味、これは 「補足遺伝子」の概念です。
いま私の手許にある高校生用の参考書には、「単独に遺伝する2個の遺伝子が互いに補い合って、ある1つの形質が発現する場合、その2個の遺伝子を補足遺伝子という」 とあります。
よく例に出されるのがスイートピーの花の色であり、白い純系色に対して紫色となるには C と P という2種類の遺伝子が揃うことが必須で、各々の作用を補い合っているのです。
生き物は 「料理」 のようなものかもしれません。いくつもの食材や調味料があり、これらがほどよく調和し補足し合うことで 「美味な成果」 が創出されることから、
これら各々は 「補足遺伝子」 たるものと言えそうです。
ただ、これら食材や調味料のみならず、これを的確に調理する料理人の存在も美味創出の必須条件であることから、
その料理人自身こそドーキンスが言う 「他の遺伝子群の働きを制御する親遺伝子」 であり、つまりこれも 「補足遺伝子」 と言えてきそうですね。
そして、そこに、まさしく何千もの遺伝子を含んだ乗り物たる 「生存機械」 の正体が理解できてくるわけです。
このように 「生き物」 という組成体の姿は、多数の遺伝子が深遠に作用し合った究極のかたちなのです。
「なぜ特定の牝系から多くの活躍馬が出るのか?(その2)」 では、
母系の競走能力への遺伝的影響は父系など比にならないほど大きい旨を報告した科学論文を紹介しましたが、
この論文について 「父不要ということか?」 という声を或る競馬関係者から受けた時は、ただ絶句したことを思い出しました。
どうも世間一般は、黒か白か、有るか無いか、というようにメリハリをつけたがり、単純なデジタル思考に陥りがちです。
「この馬は父親が○○だからこうなんだ」 というような 「○○だから○○だ」 というような単純帰結的発想はその最たる例でしょう。
レイデオロがスタッドインし、サンデーサイレンスの血が入っていないことからも、かなりの人気のようです。
この馬がディープインパクトの娘と交配すればウインドインハーヘアの3×4にもなることから、
このことを安直な謳い文句(キャッチフレーズ)とした一口馬主の募集カタログがいくつも出てくるのではないでしょうか?
ふと、そんなことを想像すると、個々の生物体とは、「○○の3×4だから」 というような単純な公式の結果のごとく造り上げられているものではない……、
と言いたくもなってくるのです。
(2020年1月26日記)
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