なぜ特定の牝系から多くの活躍馬が出るのか?(その2)
3年前、オーストラリアと中国の研究者が母系の重要性を説いた「Potential role of maternal lineage in the thoroughbred breeding strategy」と題した論文を発表しました。
この論文はJAIRS(ジャパン・スタッドブック・インターナショナル)のウェブサイト「海外競馬情報」中の2015年8月20日(No.8-5)の
「競走能力は父馬よりも母馬からの影響が大きいとする研究(アメリカ)【生産】」でも紹介されており、
概要はそこに書かれていますが、私は英文の全文を是非とも読みたかったので、この著者である中国の研究者に直接メールをして全頁を送ってもらいました。
この論文は675頭のオーストラリアのサラブレッドを解析したのですが、この論文が結論づけている点を私なりにまとめると以下になります。
@母性遺伝するミトコンドリアDNAはサラブレッドの運動能力に影響するキーファクターである。
A同等の運動能力を示す繁殖牝馬群において、その仔たちの運動能力は種牡馬の質にあまり左右されない。つまり各種牡馬の種付料とその仔たちの能力には相関関係は見出せず、
生産者は種牡馬の能力(影響力)を過大評価している。
B母系の競走能力への遺伝的影響は父系など比にならないほど大きく、繁殖牝馬の質はその牝系の成績を深く調査して見極めるべきである。
上記は私が思っていたこととほぼ同じです。ところで、世のサラブレッドの9割超はダーレーアラビアンのY染色体を持っていることになります(あくまで過去の血統記録が正しいことが大前提ですが)。
Y染色体には性決定以外に有用な遺伝子は殆どないとされており、また馬はY染色体の型のバリエーション(DNA多型)も少ないないとのことから、
父系の意義を論じるのはあまり意味があるとは思えません(詳細は本ウェブサイト中の 「「父系」と「母系」」)。
一方で、牝系により保有するミトコンドリアDNAの型はバラエティーに富みます。これは、多様な原産地や種類の馬が現在のサラブレッドの各牝系の根幹牝馬であることを意味します。
さらに、ミトコンドリアDNA中の遺伝子の進化は核の遺伝子よりもかなり速いということなので、
例えば同じ1号族でもその分枝系統ごとに運動能力に影響する型が変化していることも考えられます。
なお、前回、ミトコンドリアの遺伝子の進化はかなり速いことから 特定の牝系にそんな進化(変異)が働いたのではないかという新たな仮説を立てたと書きました。
しかし、先日『遺伝人類学入門』(大田博樹 ちくま新書)を読んでいて「アッ!」と思ったのですが、
我々は「進化」はプラスの結果をもたらす変化のこと、「退化」はマイナスの結果をもたらす変化のことをイメージしていませんか?
『面白くて眠れなくなる進化論』(長谷川英祐 PHP研究所)によれば、「ダーウィンの自然選択説の下では、進化と退化には何ら差がなく、
退化という言い方自体が人間の価値観に基づいており、科学的には不適切な呼び方ということになるのです」とのことです。
我々が競走馬の能力について論じる際に「この馬には突然変異が起こった」と言った時は、いつもプラスの変化のことを言っていませんか?
生命体における変異(変化、進化)はプラスの現象の方がかえって少ないのです。私は前回、特定の牝系に新たな変異が働いたという新たな仮説を掲げましたが、
優秀な馬を数多く輩出する牝系には、変異があまり働かなかったという逆の視点からの発想の方が信憑性があるような気がしてきたのです。
例えば、1号族の或る特定の分枝系統が沢山の活躍馬を出していたとしましょう。
これは、他の1号族はあまり好ましくない変異(敢えて言えば「退化」)がしばしば起こっていたものの、この分枝系統はそれほどではなかったという考え方(仮説)です。
まだまだ蟻地獄のような母系の重要性の科学的探究は続きます……。
(2018年5月20日記)
「なぜ特定の牝系から多くの活躍馬が出るのか?(その3)」に続く
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