なぜ特定の牝系から多くの活躍馬が出るのか?(その1)
母系の重要性は拙著でも詳述しましたし、本ウェブサイト中の「特定の牝系が優秀であることへの科学的探究」にも書きました。
実を言うと私自身、つい最近まで母系の重要性にあまり気づいていませんでした。サイヤーラインばかりに目が行っており、
フロリースカップ系と言っても「昔から日本にあった牝系なのかな?」なんて程度で、ファミリーナンバーにも全く興味がありませんでした。
ところが4年前、『サラブレ』の編集部から、ミトコンドリアのDNA(遺伝子)は母からのみ授かるようなので、
このあたりの原稿を書けないかとのオファーを受けたのがそもそもの始まりでした。
これが『サラBLOOD!』(vol.3)に掲載した『ミトコンドリアとファミリーライン 〜生物学的観点から見る母系の重要性〜』です。
人も馬も体内でアデノシン三リン酸(通称「ATP」)という物質を合成します。高いエネルギーを蓄えたATPは「エネルギーの通貨」として体内で受け渡す「スタミナ源」なのですが、
この合成が行われている場所がミトコンドリアなのです。上記の原稿を書くに当たってはミトコンドリアに関する科学書を読み漁りました。
恥ずかしいことに私は、その時点でミトコンドリアのDNA(遺伝子)が母性遺伝することを改めて認識し、サラブレッドの血統を探究してきた身として赤面したのです……。
『サラブレ』編集部に原稿を提出し終え、早速『競走馬ファミリーテーブル(第4巻)』をベースとして近年の全世界のGI勝馬を網羅したファミリーラインの樹形図作成を開始するとともに、
なぜ特定の牝系に優秀な馬が集中するのかについて科学的にどのように説明できるかを探索し始めました。
実際のところ、全世界のGI馬の母系をフォローし、これのファミリーラインの樹形図を作成することは、とてつもないワークロードです。
この時点で思ったのは、母系を研究することはまさしく蟻地獄にはまることだということです。一介の者が片手間に研究(探究)できる話ではないのですが、
時すでに遅しで、私は蟻地獄の底に生息するウスバカゲロウの幼虫に捕まってしまったのです……。
ハルーワスウィートはディープインパクトを相手にヴィルシーナ、ヴィブロスという2頭のGI馬を産みましたが、ハーツクライ相手にもシュヴァルグランというGI馬も産みました。
プリンセスオリビアはディープインパクトを相手にトーセンラー、スピルバーグという2頭のGI馬を産みましたが、
輸入前には米国で Distorted Humor を相手に Flower Alley というGI馬を残してきました。
Urban Sea は4頭のGI馬を産んでいますが、Galileo と Black Sam Bellamy の父は Sadler's Wells、My Typhoon の父は Giant's Causeway、
Sea the Stars の父は Cape Cross であり、他にもGV勝馬の Urban Ocean(父Bering)、愛オークス2着&英オークス3着の Melikah(父ラムタラ)などがいます。
違う種牡馬を相手に複数のGI馬を産んだ例であれば、当然のことながらビワハイジ、シーザリオなどの名前も挙がってきます。
1頭の繁殖牝馬が生涯に産める数はせいぜい10頭程度です。超一流の種牡馬に選りすぐりの名牝を初年度最初の種付け相手の10頭として集めてみても、
このように複数の一流馬を出することは稀有でしょう。これらのことからもサラブレッドの血統を論じる上で、もっともっと「母の力」を感じて然るべきではないでしょうか?
人間においては、オリンピック選手のミトコンドリアDNAは特徴的な型に偏っていたとの科学的報告があります(『ニュートン別冊 遺伝とゲノム 増補第2版』)。
よって、上述の名牝たちにはどんな種牡馬を交配しても良い馬が出ると言ったら言い過ぎでしょうか??
巷間の血統論の多くは種牡馬をベースにしています。それは、生涯に10頭程度しか産めない繁殖牝馬と違い、
年間100頭以上も産駒を得られる種牡馬をベースに論じた方が簡便であるからです。POG本などでも確かに各馬の血統背景の記述に「近親」も言及はしていますが、
その範囲は非常に限られています。深く母系を追求せずに種牡馬やサイヤーラインの特徴にばかり言及することは片手落ちどころではなく、
難しいことから逃げていると言われても仕方ないでしょう。そんな私もつい最近まで母系の重要性に気づかない「過失」を犯していたのですから……。
特定の牝系が優秀なことについて、拙著中で私はいくつかの仮説を掲げましたが、ミトコンドリアの遺伝子の進化は核の遺伝子よりもかなり速いということなので、
特定の牝系にそんな進化(変異)が働いたのではないかという新たな仮説も立てました。引き続き研究して参ります。
P.S. 今、ヴィクトリアマイルを観戦しながらこれを書いていたのですが、
勝ってGI馬となったジュールポレール(父ディープインパクト)の半兄にはGI馬のサダムパテック(父フジキセキ)がおり、
母サマーナイトシティも名牝の1頭と言えますね!
再P.S. 交配する種牡馬が同じでも変わっても、1頭の牝馬が複数のGI馬を産んだならそれだけでも凄いことだということです。
超一流種牡馬に超一流名牝を初年度の最初の種付け相手の10頭として集めても、そこから複数のGI勝馬が出るなんて想像できません。
(2018年5月13日記)
「なぜ特定の牝系から多くの活躍馬が出るのか?(その2)」に続く
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