デジタル思考の弊害

なにごとにも、どのような事象に対しても、白か黒か、有るか無いか、右か左か、を求めたがる 「デジタル思考」。 「「遺伝」とはアナログな現象である」 では安直なデジタル思考の話にちょっと触れましたが、昨今の新型コロナウイルス騒動では、 そのような思考がさらに世間一般では悪しき進化(=安直化)が加速しているように感じてならないのです。

テレビ朝日 『報道ステーション』 の富川アナがこのウイルスに感染したことについて、 各メディアは富川アナの 「感染経路は不明」 のような記事を書いていますが、 そもそも空気感染をする感染症においては、明確な感染経路など特定できるものではありません。 ほぼ経路が分かる集団感染のような現象はあります。 しかし、仮に、2人暮らしの夫婦において、夫が重篤な症状を呈して検査が陽性となり、その直後に、 相思相愛で日々肉体的に愛し合う 「濃厚接触」 をしていた妻が同様に発症したとしても、 その妻は 「籠の鳥」 のごとく家から一歩も出なくて来訪者もいなかった……というのでなければ、その感染が夫からのものとは100%断定はできないのです。

感染拡大防止のためにも、感染経路の特定に努力することは重要であることに何ら間違いはありません。しかし、その本筋とは離れて、興味本位の 「断定」 にこだわることこそデジタル思考の最たるものです。

人間を含めた生き物は、当然のことながらその個体によって 「質」 はまちまちであり、たとえ同様の感染が起こりやすい環境下に置かれたとしても、 感染しない(していないように見える)者、感染しても軽症の者、重篤な症状に陥ってしまう者など千差万別です。 生き物は、金型を用いて流れ作業で製造された物体とは違うのですが、しかし世間一般は、熱き血潮が流れたるものをも、そのような均質な物体のように思いがちではないでしょうか?

今般の新型コロナウイルスに感染した著名人の予防に対する思慮や、その私生活の送り方には隙があったのかもしれません。 しかし、その部分にばかり焦点を当てる記事がどうも目につきます。 確かに彼らには非はあるのかもしれませんが、その咎められる部分ばかりが増幅し、果ては各位の人格にまで Yes か No かの審判を下すかのような風潮に私は非常な違和感を覚えます。

病気になった人に謝罪させることに疑問を抱かない文化が正常とは思えません。 全てに善か悪かの結論を求める安直なデジタル思考こそがそのような文化の温床になっているような気がしてならず、 今般の新型コロナウイルスを含めた感染症、さらにはその他各種疾患に対する差別まがいの偏見は、そのような思考と密接に関係していると私は考えています。

ちなみに、PCR検査が陰性だったとしても、それは感染していないという証明ではありません。 今般のウイルスの感染者が検査を受けても陽性となる割合は70%程度とのことですが、「白か黒か」 の2つに1つの結論しかないデジタル思考は 「陰性=非感染」 と結論づけ、 結果、リスクを増大させてしまうのです。

重い話になってしまったので、ここでちょっと話の向きを変えます。

まず、こちらの絵画 をご覧下さい。これはフランスの画家テオドール・ジェリコーが1821年に描いた 「エプソムの競馬」 と題されるものですが、 のちに、発達した写真技術によるコマ毎の馬の動作解析により、全肢が同時にこんな状態になることはないと批判されたとのことです。

以前、『生物と無生物のあいだ』 や 『動的平衡』 といった著書で有名な生物学者の福岡伸一先生のお話を聞く機会がありました。 その時、先生はこの絵画に言及され、「人の脳はコマ毎に記憶するのではなく、一連の動作をも捉える」 とのことであり、 芸術家のロダンがこの絵画の在り方をそのように説いて上述の批判に対抗したとのことでした。 われわれの脳は "本来は" 安直なデジタル仕様ではないことに 「なるほど……」 と私は大きく頷いてしまったのです。

福岡先生のお話でもうひとつ興味深いものがありました。 「パラパラ漫画」 というものがあります。1枚1枚に微妙に変化をつけ、連続で見るとまるで動いているように見えるというものですが、 AIが見ている世界こそこのパラパラ漫画であるという話です。 つまりAIは、各ページの原画を取り出し、そこに描かれた各々の瞬間の世界を理解することはできるものの、その一方で、 自然現象や人間の思考というものは 「パラパラ漫画」 の世界ではないということです。

以上のようなことから、AIが人間の脳を凌駕する 「シンギュラリティ」 はありえないとのお話でしたが、これについても全くの同感であり、 われわれ現代人は、われわれ自身に内在するアナログな素晴らしさを見失っているのではないか? そんなことさえも今般の騒動の中で思ってしまったわけです。

(2020年4月18日記)

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