「遺伝」とはアナログな現象である

吉沢譲治さんの 『新説 母馬血統学 ― 進化の遺伝子の神秘』(講談社α文庫)の 「第五章 母の事情 ― 生産を担う牧場のドラマ」 は、 「無視できない生産現場」 の小見出しで以下のような一節から始まります:

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 いつだったか、日本ダービーを勝てないことで有名な牧場を訪ねたら、配合の責任者でもあるスタッフがカンカンになって怒っていた。 その日、競馬ファンと名乗る若者が訪ねてきて、こんなアドバイスをしたのだという。
「おたくが日本ダービーを勝てないのは、配合が悪いからです。ぼくの考えた配合でやってみて下さい」
「なぜ、この種牡馬がいいの?」
「コンピューターゲームで勝てたんです。最初はしばらく、おたくの配合をまねしてやってみたんですが、よくて二着か三着で、ついに勝てませんでした。 でも、ぼくが考えた配合なら簡単に勝てた。いまのおたくの配合では、いつまでたっても勝てませんよ」
 これを聞いたスタッフは、「余計なお世話だ」 と、けんもほろろに追い返したという。当然だろう。 バーチャルの世界と現実の世界が、ここまで区別がつかなくなってしまうと、先が思いやられる。
 現実の世界は、そんなに甘くはない。それにゲームの世界は、たとえ失敗しても一からやり直しがきく。リセットボタンを押せば済むことだ。

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配合シミュレーションを楽しむ競馬ソフトが流行して久しいですが、上記のような例は、そのようなソフトの遊興から派生する 「安直なデジタル思考」 の最たるものでしょう。

一卵性双生児は遺伝子構成が全く同じ2つの生物体です。しかし、遺伝性が強いとされる病気に、一卵性双生児の一方のみがかかることが実際にあるのです。 保有する遺伝子のスイッチをオンにしたりオフにしたりする作用(=エピジェネティクス)によるものと考えられ、その遺伝子本来の形質が出現する確率(遺伝学で言う 「浸透率」) に影響を及ぼします。

三毛猫の毛色とエピジェネティクスが深い関係にあることは こちら に書きました。 仮に或る三毛猫の細胞を取り出し、これのクローン猫を作成しても、三毛猫にはなるものの、同じ模様になることはありません。 一卵性双生児でも、ホクロや指紋が違うことと同じです。 どこかの国でなされつつあるペットのクローンビジネスもなかなか成功しないというような記事を以前見ましたが、以上のような理由によるのが大きなところでしょう。

もうひとつ吉沢さんの著作で、ゲノム遺伝子情報研究所長の田中匡氏との対談本である 『最強の血統学 遺伝子から読み解く人と馬〜血の謎〜』(ベスト新書) の 「第7章 クローン・サラブレッドの未来」 でその可能性について、 「かりに競馬を愛さない人が、大金を注ぎ込んで興行を始めても、お客さんはそんなに入らないと思います。馬券も売れないはずですよ。なぜだかわかりますか。 クローン馬の競馬は、サイコロ賭博、つまりサイコロが走っているのと変わらないからですよ」 と吉沢さんは言っています。

しかし、このサイコロの話はちょっと違うような気もするのです。確かにそんなクローン馬ばかりになればファンの興味はそがれるでしょうが、 仮にディープインパクトのクローン馬がいたとしても、エピジェネティクスの関与により全くの凡馬かもしれないのです。

このように 「遺伝」 とはアナログなものです。ファジーなものなのです。 サラブレッドの基本的な毛色や人のABO式血液型のような明快な遺伝様式は、生物全体の遺伝様式を眺めてみても、ごくごく稀な現象です。 芦毛は少なくとも両親のいずれかが 「必ず」 芦毛とされます。また、栗毛系同士の配合の仔は 「100%」 栗毛系とされます。 生物学的には、栗毛系発現に影響する遺伝子変異が起こる確率はゼロに近くともゼロではなく、この 「100%」 という値は 「理論値」 にすぎないのですが、 デジタルな思考に基づけば 「100%」 は揺るぎない数値なのです。

私はインブリーディングを論じる際、こちらこちら のように 「近交係数」 の話を持ち出すことがあります。 ただ、誤解してほしくないのは、同じ近交係数だからと言っても、個体によってその効果はまちまちだということです。 例えば、甲という馬は種牡馬Aの3×4、乙という馬は種牡馬Bの3×4だったとしても、 種牡馬Aと種牡馬Bは近親交配の影響を有意にもたらす劣性(潜性)遺伝子の保有数や影響力が同じはずはなく、 甲と乙における各々の近親交配の効果(弊害)の度合いは全く違うはずなのです。

あくまで近交係数とはインブリーディングにおける 「指標」 です。きつい近親交配で生まれてきた個体、つまり近交係数が高い個体における非健常率が高いのは疑う余地がありません。 しかしそれは 「相対的」 な話であり 「絶対的」 なことではありません。 だからこそ、「この馬は××系と××系を持つ……の○×○のインクロスだから当然にこうだ」 というようなトコロテン式かつ断定型の理論はありえないのです。

スワーヴリチャードやインティを例として、両親ともに栗毛遺伝子を隠して持っている鹿毛系の場合に栗毛系が生まれてくる確率(=理論値)は25%です。 これはメンデルが19世紀半ばに発表した 「分離の法則」 ですが、しかしその当時、遺伝を数値化したそんな斬新なメンデルのデジタル思考は到底受け入れてもらえませんでした。 彼の死後しばらく経って、その功績が認められたわけですが、皮肉にも現代は、そのデジタル思考が少々オーバーランしてしまっているのではないでしょうか?

メンデルが唱えた 「分離の法則」 は或る意味で例外中の例外であり、「遺伝」 とはとてもアナログな科学現象なのです。

(2020年2月1日記)

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