牝馬はY染色体を持たない
相変わらず父系(サイヤーライン)の重要性を唱える論説が少なくありません。
けれども、そのような論説を展開するには、まず 「父性遺伝」 の有意性を示さねばならないのは言わずもがなです。
人間や馬といった動物の性を決定するのは性染色体であり、オス(男、牡、雄)は XY、メス(女、牝、雌)は XX であることはご存じのとおりです。
ところで、X染色体には生体の機能を司る有用なかなりの数の遺伝子が存在するのですが、他方、
Y染色体には性を決定する遺伝子以外にあまり有用な遺伝子はないというのが現在の生物学の定説です。
従って、X染色体を2本持つメスと1本しか持たないオスとでは、身体をつくり上げる有用遺伝子の数に差が出てしまうのですが、
メスの生体においては、1本のX染色体の働きは抑制されて、性差間に不均衡がないように調整されているのです(生物学で言う 「X染色体不活性化」)。
上述のような事実下ながらも父系の重要性を説く場合、父方から授かるY染色体に拠り所を見出すくらいしかありませんので、
Y染色体には競走能力に有意に働く遺伝子があるととりあえず仮定してみましょう。
しかし、ここで忘れてはならないのは、牝馬はY染色体を持たないということです。
ブエナビスタ、ジェンティルドンナ、リスグラシュー、アーモンドアイといった年度代表馬にも輝いた名牝は、
偉大な種牡馬とされる各々の父親のY染色体に載る遺伝子は何ひとつ授かっていません。
つまりこの時点で、父系重要理論は破綻をきたしてしまうわけです。
それでも、私がそのような理論を苦し紛れにでもフォローして差し上げるのであれば、「ゲノムインプリンティング」 の話を持ち出すかもしれません。
以下は、こちら でも触れた我が息子の高校の教科書である 『スクエア 最新図説生物』(第一学習社)からの引用です:
「私たち哺乳類の細胞は、父親から受け継いだ遺伝子と母親から受け継いだ遺伝子のセットをもっている。
多くの遺伝子は父、母という由来に関わらず細胞内で働いているが、一部の遺伝子は父由来、あるいは母由来の一方の遺伝子しか機能せず、
しかもその片親特異的な発現が正常な個体の発生に必須であることが知られている。この現象はゲノムインプリンティング(ゲノム刷り込み)と呼ばれ、
その過程ではDNAのメチル化が中心的な役割を果たしている」
けれども、ゲノムインプリンティングの話を持ち出すのは、やはり究極のこじつけにすぎません。
もしも、ゲノムインプリンティングにより父方から授かる遺伝子にだけ競走能力を引き出す作用が生まれると誰かが唱えたとしても、
逆に、母系を重視する者が 「母系の重要性こそゲノムインプリンティングと密接な関係がある!」 と反論してきたら、単にお互いの浅薄な主張をぶつけ合って終わりです。
いま一度考えてみて頂きたいのですが、「優秀産駒を多数出す種牡馬は、その父の父の父から流れる優良遺伝子を産駒に授けているからだ」
という考え方を多少なりとも支持するのであれば、なぜその種牡馬は優秀な牝馬も出すのでしょう?
つまり、名種牡馬から牡馬・牝馬を問わずに優秀馬が多数出ることは、とりもなおさずY染色体上の遺伝子によるものではないということ、
言い換えれば、父の父の父から受け継いだ遺伝子にもっぱら依拠するものではないということを意味します。
以前、或る番組で吉田照哉氏は、「サンデーサイレンスはその仔たちが種牡馬になってもまた成功している。こんなのありえない。奇跡だ」
ということを話されていましたが、父系にこだわる論者は、これこそ父系の威力だと言うかもしれませんね。
しかしこれは、サンデーサイレンスという 「個体」 が持つ威力であって、そこに父系の意義を見出そうとすることは全くの無理があります。
Y染色体を持たない牝馬たるブエナビスタ、ジェンティルドンナ、リスグラシューですが、それでもその活躍は 「父方の」 祖父にサンデーサイレンスを持つからだとでも言うのでしょうか?
あらためて、サンデーサイレンスの凄さはその 「個体」 の凄さであって、彼のサイヤーラインから流れる遺伝子とは別の有意な遺伝子を産駒に授けていることによるのです。
私が別稿で何度も書いているとおり、「父」 と 「父系」 とは区別して考える必要があるということがここにあります。
サンデーの孫は彼の遺伝子を依然 25 %ほど持つわけであり、照哉氏が言った 「奇跡」 も、サンデーが特異的に持つ競走能力に有意に働く遺伝子は潜性なものより顕性なものが多く、
孫の代になってもその形質(=生体における個々の特徴)が表面に現れやすいと考えるのが自然でしょう。母の父としての重厚な存在感を示していることもその証左ではありませんか。
ここでもうひとつ非常に重要なことがあります。メスは父性遺伝をするY染色体を持たない一方で、オスは母性遺伝をするミトコンドリアの遺伝子を持つのです!
このことからも、血統(配合)を科学的に論じる上で、「父系」と「母系」の重みの埋めがたい差はご理解頂けると思います。
繁殖牝馬に比べてはるかに数が少ない種牡馬なので、血統に興味を持ち始めた者において、父系が重要であることを説く理論は簡便かつ安直に受け入れられてしまう部分があります。
特に、なりたてのファンがまず目にする出馬表には同じ名前の馬を父に持つ馬がたくさんおり、当然のことながらそこに興味を持つことはごく自然なことで、
われわれの身の周りでは一夫多妻のファミリーなど殆ど(全く?)見ないことからも、
そこにエンタメの世界たる競馬という 「非日常」 に対する好奇心を増幅させてしまうのかもしれませんね。
父系の意義を説くことに無理があることは、いままで何度となく科学的論点を整理しながら説明してきたつもりです。
しかし、牝馬にはY染色体がないというごくごく基本的な事実だけで、父系の意義を説くことに無理がある旨を説明できてしまうことに、いまさらながら気づいてしまったのです。
「基本」 を看過してはならないことをあらためて肝に銘じました……。
明日は牝馬GIのヴィクトリアマイル。いよいよアーモンドアイが出てきますが、本レースの展望において依然として父系の話を持ち出してきている評論家がいたなら、
今後はその評論家をあまり信用しないのが無難です。
(2020年5月16日記)
戻る