私の中の競馬

「競馬歴は何年?」 とかいう言葉を耳にすることがありますが、私が真剣に競馬を観始めたのは、1976年のクライムカイザーが勝ったダービーだから44年ということになるのでしょうか。 一方で 「競馬をやる?」 というような言葉も耳にしますが、この 「やる」 という行為は具体的に何ですか???

こちら にも書きましたが、いまは亡き私の父親は電気溶接の職人で、究極のギャンブラーであり、生活保護寸前まで家を傾かせたこともありました。 私が競馬に傾倒したのはそんな父の影響が大きいですが、しかし家族を苦しめたギャンブルにはもう興味が湧きませんし、この気持ちは今後も変わらないでしょう。

また、私が中学生・高校生の頃は 「競馬=ギャンブル」 という絶対的な等式があり、競馬を観るだけで不良と言われた時代であったことから、 当時ほどではないにしろ、いまも残るそのような世間の風潮に対する反発もあります。

黒川検事長の賭け麻雀事件が世間を騒がせました。 これだけの要職の人が、この新型コロナの緊急事態宣言の中でそのような行為を平然と継続してしまうこと自体、かなりの依存症が疑われます。 そういえば、ギャンブル依存症対策として、ギャンブル施設への入場制限の案がありましたが、果たしてそれは功を奏するのだろうかと私は懐疑的です。 人間の頭脳が 「賭け」 に惹かれるのは或る種の 「本能」 であり、その対象を安直強制的に遮断しただけでは確かな効果は期待できないどころか、 好きな人に会えなくなると、よりいっそう会いたくなるのと同じような気がします。 そういう意味では、私にとっての父は反面教師の典型中の典型でしたし、身内に破滅的なギャンブラーがいたからこそ、私はギャンブルで身をつぶさずに済んだのですね!  お父ちゃん、あらためて有難う……。

私は競馬場に行っても馬券を買わないことが大半で、買っても思い入れた馬の単勝を数百円というレベルです。 GIの時に早めに現地入りしたら手持ち無沙汰となってしまい、府中なら競馬博物館あたりをぶらぶらしているのが常であり、 新聞と赤ペンを持って真剣に検討しているファンを横目に見ると、そのように熱中できる姿に対して非常に羨ましくなってしまうのですよ……。 いまだに私は 「フォーメーション」 などという小難しい言葉の意味を知りませんし、「馬柱」 をなんて読むのかも知りません。バチュウ? ウマバシラ?

確かに競馬は、馬券を買うファンによって成り立っていることは分かっています。そういう意味では申し訳なく思っています。 ただ、競馬という文化を支えるうえでは、各々の持ち場があっていいと思うわけで、私は馬券面からは貢献はできない一方で、 別の方向からの貢献は精一杯していきたいと思っているのです。

話を戻し、そんな品行不方正な高校生の時代、『優駿』 に次ぐ書物情報ソースは 『週刊競馬報知』 でした。 そこにファンサークルを作りましょうという投稿があり、真の競馬を議論できる仲間に飢えていた私は参加させて頂くことになりました。ちょうど40年前のことです。 サークル発足と同時に発行する会報のタイトルは 『18.75』 と決まり、いきなりディープな面々の集まりだということがよく分かると思います(笑)。 競馬に対する造詣があまりに深い諸先輩方には敬服すると同時に、うら若き少年を夜の街にもお連れ下さり、有意義な社会勉強も多々させて頂きました。 大学入試日の確か3日前にも夜の新宿の例会に参加し、当然に浪人のコースに進んだのも懐かしいです。

あの頃はまだ千葉でも生産が盛んでしたので、みんなで何度か出かけていきましたね。 東牧場には引退した皐月賞馬のアズマハンターがいましたし、下総種馬場で見た期待の輸入種牡馬ウォローの光った馬体はいまも鮮明な記憶があります。

POGを覚えたのもこのサークルでした。指名馬の情報ソースも当時は 『週刊競馬報知』 程度でした。 その第1回は、誰の指名馬からも重賞を勝つ馬が出ないどんぐりの背比べの中、私が優勝してしまったのです。稼ぎ頭はニットウオーカン(父コントライト)という馬でした。 それで調子に乗ったのがいけなかった。次の年は他者にミスターシービーを持たれて撃沈。それからは何十年もPOGの世界からも遠ざかり……。

そんなサークルを離れて久しいですが、その代表だったNさんとはずっと40年もの付き合いになったことにあらためて気づくと驚きます。 こちらの 「今日のドン言」 はそのNさんのブログですが、相変わらず知識は豊富ですし、 最新の情報に対するアンテナもしっかりしていて、恐れ入ります……。 また近いうち一杯やりましょうか。いや、少し節酒して下さいな。お互いに健康を維持して、10年後には、出会いから50年の記念会でもやりましょう!

(2020年6月6日記)

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