メジロアサマの芦毛遺伝子
毎月の 『優駿』 で見るその姿は、すっかりと白くなり威風堂々たるゴールドシップ。その白さの根源たる彼の遺伝子は、
精子が絶望的に薄いメジロアサマに賭けたメジロ総帥の北野豊吉氏の情熱により脈々と受け継がれてきたものだということを思うと、非常に感慨深いものがあります。
人間の染色体は23対(46本)ですが、馬は32対(64本)あります。
その25番染色体にこの白さを導き出す遺伝子があるのですが、ゴールドシップが保有するこの 「芦毛遺伝子」 はまさしくメジロアサマからのものなのです。
芦毛を発現させる遺伝子を通常 「G」 と呼びます。「G」 の対立遺伝子は 「g」 であり、G は g に対して優性(顕性)です。
よって各馬の遺伝子型は GG、Gg、gg のいずれかになり、メンデルの 「優性の法則」 に基づき、遺伝子 G を1つでも持てば芦毛になるので、
芦毛馬の遺伝子型は GG か Gg ということになります。
遺伝子型が GG の芦毛馬の場合、その仔には必ず G を授けるので、産駒は全て芦毛になります。
ラナーク、ゼダーン、メンデスなどがその例ですが、遺伝子型 GG の馬は父と母の両方から G をもらっているので、両親ともに必ず芦毛です。
ちなみに、昨日の札幌2歳ステークスは白毛のソダシが勝ちましたが、この白毛遺伝子は芦毛遺伝子に対しても優性(顕性)なので、ここでは考えないで下さい。
そのメジロアサマの芦毛遺伝子たる 「G」 の継承ルートをたどってみると、あくまで血統書の記録が正しければ、
その母 ⇒ 父 ⇒ 父 ⇒ 父 ⇒ 父 ⇒ 父 ⇒ 父 ⇒ 父 ⇒ 母 ⇒ 父 ⇒ 母 ⇒ 父 ⇒ 母 ⇒ 父 ⇒ 父 ⇒ 母 ⇒ 母、そしてその母の Bab (1787年生まれ)までさかのぼれるのです。
まさにロマンですね。
しかし、ルートを特定できるのはそこまでということでもあります。この Bab は両親ともに芦毛という記録であり、どちらの親から授かった芦毛遺伝子なのかは分からないからです。
両親ともに芦毛という例ではオグリキャップがいます。父からも母からも 「G」 をもらっているのか? 片方のみからなのか?
ということになりますが、産駒には非芦毛がいることから、彼は 「G」 を1つしか持っていないこと、つまり、
父ダンシングキャップか母ホワイトナルビーのいずれかからだけその遺伝子をもらったということが分かります。それがどちらかについては神のみぞ知るわけで……。
シンジケートも組まれ、期待の中でスタッドインしたメジロアサマですが、初年度の受胎数はまさかのゼロ。
それでも、シンジケート解散後も、フランスから期待を抱いて輸入した繁殖牝馬のシェリルにメジロアサマを交配する北野豊吉氏は、周囲には狂気の沙汰に映ったはずですが、
ここから天皇賞馬のメジロティターンが生まれ、今度は日本古来のアストニシメント系のメジロオーロラを交配しメジロマックイーンが生まれるわけです。
父系にこだわる血統論者にかかってしまえば、メジロアサマ ⇒ メジロティターン ⇒ メジロマックイーンと続くラインも、
シンボリルドルフ ⇒ トウカイテイオーと続くラインも、「パーソロン系」 として一緒くたに扱われてしまうのでしょうが、
交配する繁殖牝馬の選択を真摯に個々に考えるブリーダーの存在によって、如何様にも変わっていくということです。
総産駒数は20に満たないメジロアサマ。いちホースマンの情熱がいま、ゴールドシップのその真っ白い馬体に映し出されているわけですが、
芦毛ではないオルフェーヴルにしても、その母の父であるメジロマックイーンを通してメジロアサマの血が入っているわけであり、
「「内国産」というレッテル」 にも書いたような舶来盲信の時代にこのような執念があったということ、そしてそれが後世において確かに結実したということを、あらためて考えてみる必要があるのかもしれません。
そういえば、ゴールドシップ自身もその母系は、1931年(昭和6年)に下総御料牧場が輸入した星旗にさかのぼるわけで、
繰り返される海外の血の来襲にもめげずに1世紀近くに渡って生き延びてきたこの血の底力にも何かを感じさせるものがあり、
もしもゴールドシップの血が栄えることになっても、「サンデーサイレンス系」「ステイゴールド系」 などというくくりにされないことを祈るばかりです。
(2020年9月6日記)
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