我が言説
今年4月のキャロットクラブの会報に こちら を寄稿した際、
或る人から「堀田理論も認められつつありますね」のようなことを言われ、ちょっと憂鬱になってしまったのです。
自分の考えが認められつつあるのなら、なぜ憂鬱になるのか??……と思われるでしょうね。
そんな想いになってしまった理由を今回はちょっと書きたいと思います。
突然ですが、年末の商店街の福引で見かける「ガラポン抽選器」を想い浮かべてみて下さい。
2つのガラポン器があったとして、仲良くしている商店会長に右のガラポンの方が1等の赤玉が多く入っているという裏情報をもらっていたなら、
うしろめたさを感じながらも貴方は当然ながら右のを選びますよね? 確かに左のガラポンからも赤玉は出る。右のガラポンでもハズレは山ほどある。
しかし右の方が確率は高い。そして、どっちのガラポンから出たにせよ、赤玉の価値は全く変わらない。
つまり、この赤玉はどっちのガラポン器から出たのかというような「事後」の探究は意味がなく、
配合に悩む生産者の立場であれば、自らのガラポン器に赤玉を「事前」にどれだけたくさん仕込めるかが肝要だということです。
生産者が、或る特性を見込んだ種牡馬を自己の繁殖牝馬に交配したものの、その特性が生まれてきた産駒に見出せなかった場合、
その種牡馬に期待した血統面の効果はその産駒に継承されなかったことを意味します(赤玉が出なかった)。
例えば、或る芦毛種牡馬がいて、その産駒が芦毛の場合は優良な馬体に出ることが多いとその生産者がもしも信じ込んでいた場合に、その産駒が非芦毛に出てしまえば、
つまり一旦その毛色で生まれてしまったならば(赤玉が出なかったならば)、泣いても笑ってもそれまでということ。
馬券検討においては、出走各馬の血統データは思ったほど意味がないかもしれないと思うこともあります。
アーモンドアイを例にすれば、確かオークスの前まではロードカナロア産駒ゆえに2400m不安説があったような気がしますが、
なんら問題なくこの距離を克服した姿を見て、その後のジャパンカップなどでこの馬の距離不安説を唱える者はいなくなりました。
つまり、ロードカナロア産駒と言えど、一旦そのような距離に対しても適正がある個体として生まれてきていたなら(赤玉が出たなら)、それが全てです。
どのような血筋であれ、一旦生まれて競走馬として完成したならば、その完成した姿が全てです。
馬券検討の際にその馬の各種適正を過去の血筋にさかのぼって詳細に検討することに意味がないとまでは言いませんが、2歳戦の検討ならまだしも、
エントリーしてくる各馬の個性が既にほぼ明確な古馬の重賞戦線などの馬券検討において、市販誌(紙)や各種サイトで見られる血統関連のまことしやかな言説は、
どれほどの意味があるのかとしばしば思ってしまうのです。
サラブレッドの血統に関して、そのようなまことしやかな「……理論」「……の法則」と呼ばれるものが昔も今もありますが、科学的にも怪しいものがほとんどです。
「最新の高校の教科書はすごい!」にも書きましたが、
特に配合に関する理論については、 私は既存の生物学や統計学以上のものはないと思っています。
もしも競馬サークルにいくつも存在する配合理論に科学的信憑性があるのならば、生物学者が黙っているはずなどないですし、
科学論文として報告されても不思議ではありません。
ここで過去の自分の言説を振り返ってみると、母性遺伝をするミトコンドリアの遺伝子の存在等から母系が重要そうだということ、
そして、近年の生産界はかなりのバイアスのかかった遺伝子プールとなり「近交弱勢」の観点から近親交配には要注意ということ、
この2点を大きな論点として展開してきました。しかし、誤解を与える表現にはなっていなかっただろうか?……とふと思うことがあり、
あらためてこの点には細心の注意を払いながら、今後も引き続き自分なりの科学的視点に基づく発信を続けていくつもりです。
繰り返しますが、配合検討における視点は既存の生物学や統計学がベースであるべきものであることからも、
科学的に裏づけのある新奇な理論などおいそれと創出できるものではなく、
冒頭で触れたキャロットへの寄稿にしても、その内容はあくまで私なりの仮説です。
よって、もしも将来私が、自分の言説を「これが堀田理論です!」などと声高に言い始めたとしたなら、
それは私自身が放言癖を持った認知症になったことを意味します。ありうるかも……。
(2021年8月9日記)
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