山野浩一さんの『血統理念のルネッサンス』を読んで(その2)
今回は 前回 の続編です。
3.SF作家の巧みな話術
当時私は『優駿』は欠かさずに購入していたので、この『血統理念のルネッサンス』は読んだのかもしれませんが、全く記憶には残っていませんでした。
あの頃は当然にネットなどなく輸入種牡馬の父系ひとつ調べることさえ苦労した時代であり、
ましてや海外の母系のデータ検索などほぼ不可能であったことから、山野さんの文章など全くちんぷんかんぷんであったはずで、
記憶に残す以前にお手上げだったのかもしれません。
ところで、山野さんの文章には小難しい単語が散りばめられています。例えば「ヘリタビリティ」。
この「heritability」という語は遺伝学においては「遺伝率」の意味で使用されているのですが、
通常の英和辞書で調べると「相続可能性」のような訳語しか出てこず、
果たしてどれだけの読者がこのような難解な語がしばしば出てくる山野さんの文章についてこれたのかと思ってしまったのです。
つまり、ネットなどない当時、この言葉の意味をすぐに調べられる人はほぼいなかったと思われ、
このようなカタカナ語を適度に使えば高尚な文章だと読者を信じ込ませられるという、或る意味で非常に狡猾なテクニックを山野さんは持っていたと私は考えています。
このようなことを鑑みると同時に、元来はSF作家たる山野さんであることからも、この『血統理念のルネッサンス』はまさしくSFだと受け止めれば合点がいくのです。
要するに、迷宮に入り込む怪しい悦楽が付与されるという感じなのです。
山野さんのこのような文章に惹かれる方々は、もっぱらその文学的な論調に魅了されてしまっているわけで、
そうすると、そこに包含されている「科学」に関する言及も、その真偽は別にいつのまにか信じ込んでしまうマジックにかかってしまうのではないでしょうか?
『ROUNDERS vol.5』
を購入された方々のツイッターの書き込みに、山野さんの文章を理解するのに難儀しているというようなものもいくつか見ましたが、
そもそも科学から逸脱した意味不明なことも少なからず書かれているのですから、理解しきることなど到底無理なのです。
理解できたと思ったとしたなら、それは錯覚でしょう。
4.科学的真実の追求か? それともエンタメか?
『ROUNDERS vol.5』には、この『血統理念のルネッサンス』の読み解きについての編集長の治郎丸敬之さんと血統評論家の栗山求さんとの対談が収録されており、
治郎丸さんが「山野さんはSF作家でもあり、さすがにSFというと怒られてしまうかもしれませんが、その世界観の中に引きずりこまれてしまうのです」
とおっしゃっていますが、まさしくそれが「山野節」です。
また、これに呼応するように栗山さんが、「山野さんは決して正論を吐いて世に問うというタイプではありませんでした。
世の中に波紋を及ぼすような、ひとつのエンターテインメントとして割り切っている部分もあり、そこが山野作品の良さであり、『血統理念のルネッサンス』
もまさに山野ワールド全開という筆致です」とおっしゃっているのですが、これもまさしくそのとおりでしょう。さすが栗山さん、そこのところは見抜いていますね。
つまり、血統や配合をエンタメとして接するファンの立場なら、これは非常に興味深い文章であることは間違いないでしょう。
しかし一方で、サラブレッドを生活の糧としている生産者が山野さんの文章を参考にするのは非常にリスキーだということも間違いありません。
以上のようなことから思わざるを得ないのは、山野さんが書いた内容について、
なぜ「遺伝」を専門とする生物学者を交えて具体的な議論を全くしてこなかったのかということなのです。
思うに、読み手も山野さんの書いたものは「SF」として完結したく、敢えてパンドラの箱を開けたくなかったという無意識の心理があったのではないでしょうか?
また、冷たい言い方をすれば、生物学の専門家はこのようなSFは相手にもしなかったというのも間違いではないでしょう。
5.見習うべきはファイティングスピリット
山野さんのように偶像化した人の言葉は全てが正しいと思ってしまいがちですが、既述のとおり、山野さんの言説には誤りがあったことは確かです。
しかしそれ以上に残念なのは、山野さんのように遺伝子レベルまで突っ込んで議論するような気骨ある血統論者が昔も今もほとんど見当たらないということです。
再確認してみて頂きたいのですが、今日の名を馳せた血統論者のうち、真摯に「遺伝」について科学的に言及している論者はどれだけいますか?
経済学の本質を突き詰めるには数学が必要なように、血統、その中でも生産に絡む配合の議論においては、生物学的知識は持たざるを得ないのは自明の理です。
何度も何度も言ってきたことではありますが、「血統」と「遺伝」は表裏一体です。
切り離すことなど不可能なのですが、そこに気づいている論者が稀有に見受けることは本当に不思議なのです。
『優駿』にしても、最近は『血統理念のルネッサンス』のような遺伝学に踏み込む記事を掲載することはほとんどありませんが、
このような記事を掲載しても現世では読者が寄りつかないであろうことに加えて、
山野さんのようなファイティングスピリットにあふれる論者がいなくなったのも原因のような気がします。
確かにファイティングスピリットにオーバーランはつきものです。
日進月歩の科学ですから常に新たな発見があるわけであり、よって、
自らの理論に科学的な話を盛り込めば盛り込むほど将来その考えは覆される可能性を孕(はら)むことからも、
そんなリスクに挑む論者が皆目いなくなってしまったのでしょうか?
確かに山野さんの科学(生物学)に関する言及のオーバーランは度が過ぎてはいましたが、しかしもしかしたら、
真摯に「血統」に対して遺伝学的にアプローチしようとしたのは、いまだに山野さんぐらいなのかもしれません。
つまり、そんなことにおじけづくこともないファイティングスピリットこそ、まさしく山野さんの真骨頂でもあったわけです。
『ROUNDERS vol.5』における山野さんの文章の再掲を機に、血統を科学的視点からも的確に掘り下げる論者が増えることを私は切に願います。
(2021年11月21日記)
「遺伝子レベルまで突っ込んで議論するような気骨ある血統論者が昔も今もほとんど見当たらない」……はちょっと言い過ぎたかもしれませんね。ごめんなさい。
ただ、かなり少ないのは確かであり、だからこそ山野さんがこのように議論の種を蒔いてくださったのに、
そこから生えた芽がいまだに育ちきっていないような気がしてしまうのです。
(2021年11月26日追記)
戻る