山野浩一さんの『血統理念のルネッサンス』を読んで(その1)

山野浩一さんのことは、本コラム欄では こちら のように何度か書かせて頂きました。 私も寄稿した『ROUNDERS vol.5』 には山野さんが1980年代に『優駿』に短期連載された『血統理念のルネッサンス レッドゲン牧場における系統繁殖の研究』が掲載されており、 あらためてじっくりと拝読したところ、書き留めておきたいことがいくつかありましたので、以下のとおり記したいと思います。

1.時代を先取りした慧眼

『ROUNDERS vol.5』における山野さんのこの記事に関する紹介文中に「母系を中心に血を重ねるドイツの系統繁殖」とあるのですが、 母系の重要性を別途唱えている私ながら、「系統繁殖」という言葉は全く馴染みがありませんでした。 いま手許に日本遺伝学会が発行した『遺伝単』という遺伝学用語集があるのですが、やはりここにもこの言葉は見つからず、 「系統育種」という言葉はあったものの、この対訳は「line breeding」と書かれていました。 他方、今般の『ROUNDERS vol.5』にある山本一生氏の記事『魔術師たちの腕くらべ』には「比較的遠い世代でクロスがあるときにはラインブリードと呼んでいる」とあり、 ここまでくると何が何だかわからなくなり、とりあえず今日は深く考えることはやめます。

話を戻すと、山野さんはこの寄稿において「ドイツ式馬産では、ファミリーラインがいかなる歴史をたどってきたかが重要」と述べており、 レッドゲン牧場での主要牝系について詳述しており、その中の一節に以下があります。

「一方発生学的な相異では明白に母系が大きな影響力を持っているといえよう。<中略> つまりミトコンドリア、リボゾームなど独自にDNAを持っている組織に関してはすべて母のDNAを受け継ぐわけである」

リボゾームについては違うような気がしますが、山野さんがこれを書いた当時はエネルギー産出工場たるミトコンドリアの研究はまだ発展途上であり、 そこに独自のDNA(遺伝子)があることや母性遺伝をすることなどごく一部の研究者レベルの情報であったはずなのに、 それをご存じだったということには本当に驚愕しました。とてつもない探究心の持ち主だったということでしょう。

思うのです。それこそ30年以上も前に山野さんがこのような寄稿をされていたにもかかわらず、ミトコンドリアというものの正体が科学的に詳細に判明し、 さらにその遺伝子は母性遺伝をすることが明確化した現在において、なぜ、そこに絡めた血統理論を展開する者が依然として稀有なのでしょうか?

以下の山野さんの記述にも唸るものがありました。

「かつて遺伝因子は永遠不変のものとして伝えられ、それが変化するのは稀な突然変異によってでしかないと考えられていたが、 今日の遺伝学では環境に応じたDNAの変化を認める考えかたが支配的である」

「つまり、同じ祖先から出た血統でも環境が変われば、生まれてくる仔の中の能力や活力の喚起力そのものは変わってくるはずだ」

以上はまさしく「エピジェネティクス」の概念です。このエピジェネティクスとはどのようなものかは「「遺伝」とはアナログな現象である」 などに書きましたが、山野さんの視点はまさしく時代を先取りしていたということです。

「馬のDNA量(ヌクレオチド対の数)は58億で、それに対応する遺伝因子数(平均的な情報形成単位となるヌクレオチドの組み)は580万と推定される。<中略> 600万の技術者がいて一つの巨大な構造物を製作しようとしているとしていると考えてほしい。いかなる構造物を造るにも600万は多すぎる。 従って大半の人には休んでいてもらわなければならないが、技術者たちは環境によって自分の出なければならない状態を知り、材料が不足していれば、 その状況にあった技術者が腕をふるいエネルギーの供給が活発になればその状況に合った技術者が仕事をする。 前任者の仕事が終わると、次の技術者の仕事となるが、その交代時期の判断も環境によって変わる。遺伝因子とはそういう技術者のようなものである」

この遺伝因子(つまり遺伝子)の数は近年のゲノム解析結果からはかなりの乖離がありますが、 全ての遺伝子が常に稼働しているわけではない話はまさしくそのとおりであり、専攻が生物学ではないながら、その山野さんの好奇心および探究心、 そしてそれに基づく上記のような知見にはただただ頭が下がります。

2.科学的に誤った記述

その一方で、生物学(遺伝学)の観点から誤りである記述もありました。

「雄の特徴のすべてがY染色体にあるとは限らないが、少なくとも雄の特徴となる遺伝因子が発現するための重要な情報がY染色体に集中していることは確かである」

いえ、確かではありません(理由は後述)。さらに山野さんの記述は以下に続きます。

「先に述べたように発生において、雄と雌の影響力に大きな差があっても、 種牡馬がやはり取るに足らないものでないのはこのY染色体の変化に向かう強力な起爆力によってであろう」

以上の山野さんの論述は、現在の生物学に基づけば明らかなる誤りです。 その理由については「牝馬はY染色体を持たない」に詳述したとおりです。

加えて残念なことは、「競馬サークルにおける科学者の怠慢」に書いたとおり、 山野さんは上述の考えを依然として5年前の寄稿にもそのまま書かれているのです。 『血統理念のルネッサンス』を『優駿』に寄稿された当時にこのようなY染色体説を唱えるのは何ら問題はなかったでしょう。 しかし、高校の教科書にさえ「X染色体不活性化」が掲載されている時代においてもこの考えを貫いてしまったことは、さすがに問題ですね。 遺伝子の研究を生業としている知人に尋ねると、5年前のこの山野さんの記述の中でも 「闘争心とか、頑強な肉体といった牡馬的な要素の多くはY染色体のDNA情報を起源として発達すると考えられる」の部分については「妄想レベル」と言っていましたし、 残念ながら私も全く同感です。JRA賞馬事文化賞を受賞した人なのに軽率だと言われても仕方ないでしょう。

重ねてですが、父系重要論がY染色体に基づくのであれば、Y染色体を持たない牝馬の競走能力に有意に働く闘争心や頑強な肉体については説明のしようがなくなります。 Y染色体の話を持ち出した時点で牝馬の活躍と父系は完全にリンクしなくなるわけですが、これを例に、 遺伝の基本原則を超越する「父系にこだわる血統論」が依然として溢れており、このような言説に抗うことを述べるのは大河の流れに逆らうようなものであることから、 そんなとき私は「多勢に無勢」の感を抱くわけです。

さらに、山野さんは近親交配については以下のように書かれています。

「馬においては近親交配そのものの弊害はないと思うが、(なぜなら群れをつくり、一夫多妻の繁殖を行う種では近親交配が避けられず、 既に自然の進化の段階で致死遺伝子や障害遺伝子は淘汰されているはずだから)進化というレベルでとらえれば、常に新しい要素がなければならない」

「一般にはセントサイモン血脈が近親繁殖の弊害によってメールラインを衰退させたといわれるが、先にも述べたように、近親交配そのものには弊害などないはずだ」

これを読まれた方々は「なるほど……」と思われるのでしょうか? 正直なところ私には上記の文章は意味がよく分かりません。 例えば「常に新しい要素」とは何を言っているのでしょうか? 日本語の意味さえ理解に苦しみます。 弊害がないと言うのなら、3×3、2×3、2×2、果ては1×2さえもどんどん実践すれば良いということにもなります。

山野さんは、閉鎖された集団たるサラブレッドにおいては、 近親交配の弊害たる劣性(潜性)遺伝子が2つ重なって(ホモとなって)疾病や障害を持って生まれた個体は既に淘汰されたため、 残存した集団における遺伝子群が持つ劣性(潜性)遺伝子には邪悪なものはなくなっている、よってその集団内ではいくら近親交配をしてもリスクはない、 と言っているものと解釈せざるを得ませんが、どうしてそのような理屈になるのでしょうか?

ちなみに、その遺伝子が身体に障害を及ぼす作用を持つものだったとしても、競走能力に有意に働くものもあるかもしれません。つまり「諸刃の剣」なのです。 また、仮に山野さんの言うように非健常個体を誘発する邪悪な遺伝子がサラブレッドという集団から排除されたとしても、 今度は、残存した(優良と見なされた)遺伝子だけでは健常性の屋台骨を支えきれなくなるのです(=遺伝的多様性低下による近交弱勢)。

さらには、われわれは安直に「進化」という言葉を用いますが、これは気の遠くなるような期間における現象であって、 生誕からわずか300年余りのサラブレッドにそのまま当てはめるのもさすがに無理があり、 近交弱勢のようなものが進化という現象でカバーできていると言っているのであれば、あまりにも論外です。

(2021年11月13日記)

山野浩一さんの『血統理念のルネッサンス』を読んで(その2)」に続く

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