競馬ジャーナリズム
昨年末のGIホープフルステークスで2番人気になり、残念ながら4着に敗れたファントムシーフは、独特なパターンの強い近親交配で生まれてきており、
この馬の近交度合いについては、この馬が新馬戦を勝った6月に「バイアスのかかった遺伝子プール(その4)」で解説しました。
そこにも書いたとおり、この馬はあたかも2×2というほとんど行われていない強い近親交配だというようなコメントがネット上で散見されました。
そして今般、GIで人気になるに当たり、その言説がまた飛び交うのではないかと予想していたところ、案の定、
「【ホープフルS】ファントムシーフ“2×2”超濃厚クロスで新時代切り開くか 」
と題されたデイリーの記事です。そしてこの記事について、ちょっと気になるやり取りを目にしたので、以下に記したいと思います。
私の知人が、私の上記コラムを引用しながら、このデイリーの記事に書いてあることは間違いという旨をSNSに書いたところ、
それに対する反応なのかは定かではありませんが、この記事に対してとやかく言うのは重箱の隅をつつくようなものだと言う人がいました。
しかし、そもそも「2×2」と言ってしまっていること自体が根本からずれてしまっているのです。重箱の「隅」どころか「中央」でしょう。
その人は、新聞は学術論文ではないとも言っていたのですが、学術論文でなければ、このレベルの内容は咎めるに値しないというのでしょうか?
「競馬」に関する全ての事象を「エンタメ」として片づけてしまうのなら、そういう考えもあるでしょう。
しかしそのような考えは、デイリーのようなスポーツ紙にジャーナリズムを求めるべきではない、彼らは蚊帳(かや)の外なんだと言っているようなものです。
確かにスポーツ各紙には、そのようなことを言われても仕方ない部分はありますが。
こんなコメントも見かけました。サラブレッドの近親交配を語る際、遺伝学的視点からネガティブなことを言う人がいるけど、
それはみんなが理解したうえで血統の面白さを語っていることを分かっていないからであり、前提を共有できていないというものです。
果たしてそうでしょうか? ファントムシーフを例にして、近親交配の近交度合いの解読法を各自がきちんと理解しているのでしょうか?
もしもですよ、ファントムシーフは本当は2×2ほどの近交度合いは全くないことを理解している者が、この馬は2×2と同等の近交度合いだと言ったとしたならば、
それはもはや「過失」ではなく「故意」に誤った情報を流布させたことになります。
以前、日高を巡った際に、生産者から「5代血統表の中にサンデーサイレンスの名前がたくさんあるほどいいと思っている馬主がいる」
という話を聞いたことがあるのですが、昨今特に思うのは、さすがにそんなことは常識はずれだろうと思うようなことも、
当然のように思っている人たちがそこそこいるということです。世のあらゆる分野においてです。
血統というものを屈折させながら眺めるのは確かに楽しいかもしれませんが、それはあくまで競馬を、
「エンタメ」という視野の中でも限られた1つの方角からのみ眺めた場合です。
上記のデイリーの記事には「さすがに2×2は『危険な配合』と言わざるを得ない」とあるのですが、
このファントムシーフの生産者があたかもそのような配合に傾倒してしまっているような誤解を招き、生産者に迷惑がかかります。
また、メディアがこのような喧伝をし、仮に将来この馬がビッグレースを勝った場合には、逆に2×2が好意的にも受け留められてしまい、
「本当の2×2」を積極的に実践してしまう生産者も出かねません。
もしも今後ファントムシーフがクラシックに登場するようであれば、同じような言説が繰り返し現れると思いますが、
その時はそのメディアや血統論者をきちんと皆さんの目線でジャッジ頂ければと思います。
以上のようなことからも、私は、科学的な造詣がある競馬ジャーナリズムが必要だと思うことがあります。
『優駿』などがあるじゃないかと思う人もいるかもしれませんが、しかし『優駿』はJRAの機関誌であることからも、
JRAの利益に反するような記事は基本的には掲載されません。
『優駿』誌上で毎年行われている「優駿エッセイ賞」にしても、JRAの在り方に(良い意味で)批判的に鋭く斬り込んだものがあったとしても、
選考対象外になるのは関の山です。
別途繰り返し本コラム欄では問題提起をしている、近親交配の頻発による遺伝的多様性低下の対策を論ずるにしても、
「中立」で「科学的造詣」のある競馬ジャーナリズムが必要だと切に感じた年末年始です。今年もよろしくお願いします。
(2023年1月8日記)
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