『相馬眼が見た夢』を読んで
JRA賞馬事文化賞受賞作である『相馬眼が見た夢 岡田繁幸がサンデーサイレンスに刃向かった日々』(河村清明 講談社)を読みました。
生産界における岡田繁幸という人物像を再認識すると同時に、読後に私なりに思ったことを書き記したいと思います。
この本の帯に「なぜダービーを勝てなかったのか」とあります。これは、運によるところも大きかったでしょう。
その一方で、氏の馬体に対する相馬眼は天下一品であったものの、血統や遺伝に対する考え方は果たしてどうだったのだろうかと、
この本を読み進める中で何度も抱いた感想です。馬体を重視する一方で、血統に対する一種独特な思い入れを感じずにはいられませんでした。
実在したひとりの人物をセンターに置いたノンフィクションにおいて、どうしてもその人物像には書き手のフィルターが入り、
多かれ少なかれバイアスがかかることも確かです。見る人により評価がまったく違う著名な生産者や調教師の例は幾度か見てきましたし、
繁幸氏のご子息である岡田紘和氏がラフィアンターフマンクラブのウェブサイトで こちら
のとおり、「こちらの本の内容につきましては良いことも悪いこともやや強調され過ぎている嫌いもありますので」と述べていることにもそれが垣間見えます。
「サンデーサイレンスに刃向かった日々」というサブタイトルからも、著者や編集者が敢えてメリハリをつけるべく、
描写は或る方向に力点を置いたということも十分に考えられ、そこは注意をしながら読み込みました。
174頁に「『あんなクタクタじゃ、いい仔は出ません。厳しいですよ』繁幸は即答した。柔らかすぎる体質や深い飛節(後肢の関節のひとつ)を気にしていた。
だが、“相馬の天才”の見立ては呆気なく外れてしまう。サンデーサイレンス産駒が示し始めた信じがたい結果に、日本の生産界は経験したことのない混乱に陥る」
とありますが、これが繁幸氏のサンデーサイレンスに刃向かう原点だったのではないでしょうか。
176頁に「種を制する者、業界を制す。本人が好んで口にした言葉だ」とあり、続く177頁には「多くの方々が、優れた繁殖牝馬を揃えることが先決であると指摘なさいます。
しかし、馬ひと筋に打ち込んできた私は、繁殖牝馬の良さを生かすも殺すも、種牡馬の優劣が決めると確信しています」とあります。
さらに211頁には「牧場の体制は整ってきた。繁殖牝馬もこの先、さらに充実させていけるだろう。だが、やはり必要なのはサンデーサイレンスに対抗し得る種牡馬だ。
シルヴァーエンディングもペンタイアも悪くはないが、スーパーサイアーをいかにして手に入れるか……」とあります。
確かにサンデーサイレンスのような種牡馬がいれば、事態は大きく変わるでしょう。
しかし、日本の近代競馬を回顧してもあのような種牡馬は例外中の例外であり、まさしく宝くじに当たったようなものです。
どんなに相馬眼を持ち合わせたとしても、馬体内で稼働する個々の遺伝子まで読み取れる術(すべ)などあろうはずがなく、
そのような宝くじに当たることは、それこそ運としか言いようがないのです。にもかかわらず、究極の相馬眼があれば、
その「遺伝子」まで見極められると思ってしまっていなかったか。
例えばコスモバルクについては、265頁に「バルクはシアトリカルの系統で筋力が本来あんまり強くないんですよね。
これまでは健闘してきたけれど、古馬のGIではその辺がネックとなる可能性があります」とあり、307頁に
「社台グループに追いつき追い越すため、どんな種牡馬を手に入れなければならないか、ノウハウを磨いてきたつもりです。
バルクを種牡馬にしても、いい子供を出す確率は低い」とあり、これを読むとどうしてもそう思ってしまうのです。
アルママについては、373頁に「せっかく声をかけてもらって、こんなふうに言うのは申し訳ないんだけど、次勝てるとか何勝できるとか、
そんなレベルで勝負した馬じゃないんです。ステイゴールド系の有力種牡馬になれると思ったからこそ、セレクトセールで手を挙げたんです。
成功するタネ馬には何より瞬発力が必要になります。今の直線の走りで、期待したほどの瞬発力を持ってないのがわかってしまいました。
これから何勝しようとも、どれだけ鍛えようとも、そこは変わりません。有力種牡馬にはもうなれないとハッキリしたんです。
だから、すごく落ち込んでいます。買うときに真の能力を見抜けなかった自分に腹を立ててます」とありますが、
どんな相馬眼を持っていたとしても、こればかりは蓋を開けねば(その馬が走ってみなければ)わからないのです。
そこに腹を立てるのはちょっと違うような気がしました。
ちなみに、アルママの母はGI馬たるホエールキャプチャですが、371頁には「2018年7月28日、札幌開催初日の新馬戦・芝1500メートルにアルママが出走した。
繁幸が2年前のセレクトセールで落札したオルフェーヴル産駒だ」とあるものの、本書のどこにもホエールキャプチャの名は書かれていません。
いくら描写の力点を「種牡馬」や「父系」に置くとしても、母がGI馬であるのなら、ひと言どこかにその名を記すのが通常ではないでしょうか。
この点からも本書の描写は、一方向に力点を置いたことがうかがえるとともに、
母がGI馬であろうと「ステイゴールド系」という視点が最上位概念なのかと思ってしまいました。
「父系」にも書いたとおり、「父」と「父系」とは区別して考える必要があると私は考えます。
よって、177-178頁の以下のくだりにはどうしても疑問符を打ってしまうのです。
「ナリタブライアンの父系はブライアンズタイム〜ロベルト〜ヘイルトゥリーズンである。
一方のシルヴァーエンディングはシルヴァーホーク〜ロベルト〜ヘイルトゥリーズンだ。
つまり繁幸は、さまざまな資料を基にナリタブライアンと同じヘイルトゥリーズンリーズン系の種牡馬を探すうち、
シルヴァーホークの仔であるシルヴァーエンディングの存在を知った。(中略)
のちに繁幸は、サンデーサイレンスの持つ体質の素晴らしさについて、ヘイルトゥリーズン系にいっそう傾倒していく」
さらには297頁に、「18年の英2000ギニーステークス(G1)をサクソンウォリアー(父・ディープインパクト)が勝利した。
21年の英オークス(G1)を史上最大となる着差でスノーフォール(父・ディープインパクト)が勝利した。
23年の英・愛ダービー(G1)をオーギュストロダン(父・ディープインパクト)が、英セントレジャーステークス(G1)をコンティニュアス(父・ハーツクライ)が勝利した。
繁幸が予見したとおり、世界の競馬はいま、サンデーサイレンスの血にひれ伏している」とあるのですが、この「ひれ伏している」にはかなりの違和感を覚えます。
ご存じのとおり、私は今世紀生まれのGI馬を網羅した母系樹形図を作成しており、
こちら がサクソンウォリアーとコンティニュアスの母系(下線を付したのがGI馬)、
こちら がスノーフォールの母系、こちら がオーギュストロダンの母系ですが、
これらを眺めると唸るものがあるかと思います。
また、こちら は昨年 10 月に発行した拙著『サラブレッドの血筋』の第4版からの抜粋ですが、
近親にどれだけGI馬がいるかという表であり、オーギュストロダンは母も祖母もGI馬(表で〇が付いたもの)です。
ディープインパクトについての繁幸氏の評価は、「あの馬の筋肉はサラブレッドの理想です。体質は優性遺伝しますから、優秀な質の筋肉が遺伝して、
ディープインパクトはバンバン走る子供を出しますよ。必ずそうなります」(338頁)とのことでしたが、一方で、繁幸氏の弟である牧雄氏が、
『優駿』2021年3月号の社台ファームの吉田照哉氏との対談記事「ブリーダーズビュー 日本競馬 その進化の過程」で、
「“ディープ”産駒で母親の血統が悪い馬はあまり走っていない印象だけど、“サンデー”の仔は、母親の血統が悪いのにGIを獲った日高の馬はたくさんいる」
と言っていました。牧雄氏のこの言は非常に的を得ており、兄弟でも感覚がこれだけ違うのかと思ったものです。
ちなみに、上で言っている「優性遺伝」とは、メンデルの「優性(顕性)の法則」に基づいて発した言葉なのでしょうか?
実際に繁幸氏はこの言葉を使ったのか、それとも著者の意訳なのかはわかりませんが、前後の言説から判断すれば、
メンデルの法則を理解したうえでのものではないように思われます。
そもそも体質は「量的形質」であり、いくつもの遺伝子の働きが複雑に絡み合った結果であって、単純に優性云々と言えるものではありません。
過去の繁幸氏の発言において、「種牡馬」という言葉は無数にありました。そのような信仰にも近い信念が、あの原動力になっていたことは確かでしょう。
この本を読むと、その信念はサンデーサイレンスの出現において先鋭化したような気がします。
本書のサブタイトルは「サンデーサイレンスに刃向かった日々」ですが、「サンデーサイレンスに翻弄された日々」の方が実態に近かったのかもしれません。
そんな姿に唯一無二の人間臭さが伴っていたからこそ、人を惹きつけていったのでしょう。
現在の生産界を眺めても、魅力あるノンフィクションの主人公になりうる人材は、正直なところ見つかりません。
あらためて、安らかにと思います。
(2026年3月1日記)
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