父系

こちら の拙著『サラブレッドの血筋(第3版)』の冒頭にも書いたように、 私は、サラブレッドの能力の科学的探究において「父」を論ずる意義は当然にあるものの、「父系」を論ずる意義は見出せないと考えております。

まず、父系の重要性を主張する方々の拠り所として、「牡馬産駒の選抜強度」や「後継種牡馬としての選択圧」のような言葉を耳にすることがあります。 つまり、その種牡馬の優れた特徴を持った牡の産駒を綿密に選別した結果、優れた後継種牡馬が得られ、またその次の代も然り……というのがその理屈です。

けれども、それがそのとおりだったと仮定しても、せいぜいその意義は、遺伝子の25%を継承する孫の代あたりまでではないでしょうか?  それ以上の曽孫(ひまご)の代以降もその父系に意義があると言うのであれば、何らかの父性遺伝の因子があるということになると思うのですが、 その理屈が破綻してしまう旨は「牝馬はY染色体を持たない」に書きました。 例えば、アーモンドアイは母の父たるサンデーサイレンスの特長がよく出ていると思ったならば、その時点で「父系」という概念はぬぐい去るに値するかもしれないのです。

素晴らしき芦毛種牡馬がいたとしましょう。そして、その種牡馬が持つ競走能力に有意に働く遺伝子と芦毛遺伝子は同じ染色体に載っていたとしましょう。 そうすると、この種牡馬から得られた牡の産駒のうち芦毛のものから有能な後継種牡馬が選抜されうるということになります。 つまりこの「芦毛⇒芦毛⇒芦毛」と続くサイヤーライン上からは有能な種牡馬がたくさん出るということになりますが、 しかしそんな単純な話に落とし込めると思いますか? 上述の「牡馬産駒の選抜強度」も「後継種牡馬としての選択圧」もこれと同様の話です。

種牡馬Aの特長が強く出た後継種牡馬Bがいました。Bの特長が強く出た後継種牡馬Cがいました。 もしかしたら、そのBの特長は表面上はAに近くとも内面はその母の特長を多くもらっていたかもしれません。 もしかしたら、そのCの特長は表面上はBに近くとも内面はその母(さらにはBの母)の特長を多くもらっていたかもしれません。 例として、素晴らしき種牡馬たるサンデーサイレンスと、 その素晴らしき後継種牡馬たるディープインパクトを比較しながら思い浮かべてみて頂ければと思いますし、さらには、 今日はこれを書きながら観ていたジャパンカップを快勝して引退の花道を飾ったコントレイルをはじめとする、 ディープインパクトの優秀牡馬産駒のそれぞれの個性にも目をやってみて下さい。

血統や配合に関する理論は多々あります。「真実の中にこそ醍醐味あり」にも書きましたが、 或る人が或る理論に対して「影響を受ける」とか 「惹かれる」とかいう言葉を用いた場合、 その裏には都合の良いもの、または自分好みのものを恣意的に選択してしまっているような気がするのです。 どうしてもわれわれは自分好みの方向に気持ちは行ってしまうのですが、まずは冷静に、そこに信憑性があるのか? どのような科学的根拠なのか? ……という視点を持って頂きたいのです。

科学における朝令暮改」にも書いたとおり、先に結論ありきのごとく、ひとつの考えから動かないことは、 自らの思考にそれ以上の成長はないということを意味します。 私は母系の重要性を、母性遺伝をするミトコンドリア遺伝子等に絡めながら説いてはいますが、これは能動的にこの考えを抱いているのではなく、 科学的事実やあらゆるデータを冷静に眺めた場合に、そこにたどり着かざるをえなかったというのが正直なところです。 こんな私にしても「ネガティブ・ケイパビリティ」にも書いたとおり、30年以上も父系ばかりを追いかけていたわけで、 その反省も踏まえながら、新たな科学的な発見や信憑性のある理論を見つけた場合には、随時自分の考えを柔軟に軌道修正していくつもりです。 そうしなければ自分の成長を阻害してしまうわけですから……。

(2021年11月28日記)

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