科学界における朝令暮改

今日は「成人の日」です。このコロナ騒動の中、我が横浜市は成人式を強行し物議を醸しているようですが、一方で、東京都の新宿区は こちら のように式典を直前になり中止する決断をしたようです。 これら各自治体の判断には賛否両論があるかと思いますが、敢えてどちらの自治体の判断を支持するかと問われたならば、新成人の方々には気の毒ではあるのですが、 私は新宿区の判断を支持します。

一度出した考えや判断を覆す場合においては批判を浴びることは覚悟せねばならず、勇気が要ります。 しかし、われわれ個々の思考というものは試行錯誤を繰り返し、意識的か無意識かを問わず常に各々が改善を目指しているものであり、 新たな考えが既存の考えを凌駕するものであったならば、それに差し替える確かな気概を持たねばと自分自身に言い聞かせることがあります。

「朝令暮改」という言葉があります。手許の電子辞書によれば、「法令や命令が次々に変わって定まらないこと」「朝出した命令を夕方には変更する意」とのことです。 以前書いた「「失敗」という言葉の持つ意味」では、昨年、 日本における新型コロナウイルス騒動の始まりとなったダイヤモンドプリンセス号に乗り込んだ神戸大学の岩田健太郎教授の言葉を引用させて頂きましたが、 英国におけるコロナ対策の話の中に「朝令暮改」という言葉がありました。念のため、以下に再掲します:

「英国は失敗した。初手の出し方において失敗した。しかし、失敗の認知には失敗しなかった。よって、科学的であり続けるという点においては一貫性を保っていた。 『朝令暮改』が繰り返されるのは、科学的な一貫性の証左なのである。プリンシプル(原則)の一貫性と言い換えても良い。非科学的な議論においては結論だけが一貫性を保つ。 が、プリンシプルにおいてはグダグダである。というか、そもそもプリンシプルが存在しない。 自分の主張を正当化することだけに汲々としているからであって、最初から科学に誠実であることを放棄しているのである」

今回、この話を書いているのは、昨今どうも頑として持論を曲げない者が多いな……と感じてしまったからなのです。 自らの考えに信念を持つことは確かに素晴らしい。しかし、その信念の先にある結論が先に確立し、あとから理屈をつけている部分はないか?  そして、新たな発見があったとしても、それが持論に都合が悪ければ、意図的に恣意的に無視してしまってはいないか?

「男に二言はない」などという言葉もありますが、果たして、いつまでも前言や同じ考えに固執するのはどうなのかと思うことがしばしばです。 一度言ったことに責任を持たず、いつのまにか違うことを言っている政治家が少なからずいるのは別な意味で問題ですが……。

例えば、サラブレッドの配合を検討する際に父系(サイヤーライン)の話を持ち込むのは科学的な意味が見出せないことも別稿では何度となく書いてきましたが、 父系に過剰にこだわる血統論というものは先に結論が確立しているわけです。このあたりの話は「先に結論ありきの思考の危険性」にも書きました。

一方、これも例えばの話ですが、インブリーディングにこだわる血統論を展開していた論者が、ある時からアウトブリーディングに傾倒した論調になった場合、 この論者に対して多くの者は「言っていることが変わって一貫性がない」と、場合によっては憤りを感じてしまうかもしれません。 しかしです、その論者はもしかしたら、自己の研究や新たな発見により、アウトブリーディングの重要性を新たに認識したのかもしれないのです。 このようなことを考えてみると、一貫性のなさを責めるのはたやすいことですが、新たな事実を認め合うといった柔軟性の大切さも考えさせられるのです。

2012年にノーベル生理学・医学賞を受賞したiPS細胞で有名な山中伸弥先生が、「自分(=山中先生)の言ったことを信じるな」 と研究員や学生にはいつも言っているとテレビ番組でおっしゃっていたのですが、これはまさしく、常に物事に対して科学的に「なぜ?」という思考を持てという意味です。

また、2018年に同じノーベル生理学・医学賞を受賞した本庶佑先生が「科学誌の9割は嘘」という趣旨の発言をされた際は話題となりましたが、 こちら にも書かせて頂いたとおり「科学」とは、 昨日までの事実は今日の新しい発見により覆されることの繰り返しであるということを先生はおっしゃっているのです。

つまり、上述の岩田先生、山中先生、本庶先生の言葉からもお分かりのとおり、「科学の進歩」とは、昨日は正しいと言われていたことが今日はそれが間違いだと気づいた場合に、 それを真摯に認め合うことによって成り立っているわけです。

私は母系の意義を説くキーワードに「ミトコンドリア」と「エピジェネティクス」を掲げておりますが、しかしエピジェネティクスについては、 一部考えを修正すべきだろうかと思ってきた部分があります。これについては現在準備中の拙著『サラブレッドの血筋』第3版の中で触れておりますが、いずれにしても、 新たな科学的な発見や報告に対するアンテナをしっかりと張り、既存の自分の持論に要修正事項が見つかったならば真摯に軌道修正を行って参ります。 曲がりなりにも持論の意義を説き続けるのであれば、そのエビデンスのアップデートは必須であるからです。

(2021年1月11日記)

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