先に結論ありきの思考の危険性
前回書いた「進化論と創造論(米国における科学不信の現場)」をもう少し掘り下げて考えてみたいと思います。
『面白くて眠れなくなる進化論』(長谷川英祐 PHP研究所)には、「うまく説明できないものに理由を付けをしたいときに、最も簡単な方法はなんでしょうか。
それは、召喚です。つまり、全知全能の神様がそのようにお作りになられたのだと言えばよい。悪いこと、不気味なことは、神の怒りだと言えばよいのです」とあります。
動かしようのない結論たる神の思し召しという絶対的事象が既に存在する創造論は、全てはそこにある「固定観念」をベースに思考は展開されていきます。
一方で進化論は、データをもとにした事実を積み上げながら確立してきたものです。
当然のことながら現在の進化論とは、過去に創出されたいくつもの仮説を検証し、反証ができなかった仮説群の集大成とも言えるものです。
つまりこれは、科学の歴史とは、或る時代には間違っていたとされても次の時代には正しいとされることの繰り返しということを意味し、
進化論のような科学理論は、絶え間ない研究(探究)による新たな発見によって適宜修正されながら、今後も前向きに変化していくものであるということです。
ただし、科学者の中にも「固定観念」に縛られてしまった者もいます。野口英世がその代表例です(英世のことはこちらも参照)。
以下は『生命科学者の伝記を読む』(仲野徹 秀潤社)からの引用です:
「大変な努力の結果、誰も見つけられなかった梅毒菌を進行性麻痺の患者の脳に見つけることができた。
しかし、このとき、野口は新しい技法を使ったのではなく、『断固とした決意と粘りと鋭い視力』を武器としたのみであった。
こういった成功経験が、『検鏡できないような微生物はない』という誤った信念や、
『目の迷い現象による真の反応の覆い隠し』という誤った判断を生み出してしまった」
英世は、深く研究した黄熱病において、周囲の異論を受けつけることなく、その病原体はスピロヘータの一種と断定してしまいますが、
のちにその病原体はウイルスであることが判明します。はるかに微細なウイルスは彼の没後に出現した電子顕微鏡により初めて発見されたのです。
そういう意味では、英世の人生には「時代」というものに翻弄された悲哀を感じてしまうのですが。
サラブレッドの血統(配合)の世界においても、やはり、先に結論ありきの思考が蔓延していると感じざるを得ません。
常染色体劣性遺伝病というものがあるように、近親交配(インクロス)にはメリットよりデメリットの方が多いのは「遺伝」における通常の認識ですが、
特定の活躍馬の特定のインクロス配合にばかり注力しながらその意義を説く血統論が依然多数あるのがその例です。
もしもそのような血統論を貫くのであれば、既存の生物学の認識を覆すような恣意性のないデータを提示することが大前提です。
以下の2つの記事は、まさしく先入観や固定観念に縛られない若い頭脳の賜物と言えます:
「西から昇ったおひさま」見えるのだ 中3の計算が表彰
セミ成虫の寿命1週間は俗説! 1カ月生存「証明」 岡山の高3 学会で最優秀賞
これらの記事を見て、今後のさらなる高齢化社会を構築してしまう一人として、硬直化寸前でカビの生えかかっている自分の脳の再活性化を真面目に考えねばと思ってしまうのです……。
(2019年6月23日記)
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