千円札の肖像

千円札の肖像が野口英世から北里柴三郎に代わるとのこと。その昔、私は千円札の肖像が野口英世になると聞いた時は本当にぶったまげました。

借金魔で借りたお金は一切返さずに無心を繰り返し、遊郭通いに興じ、結婚詐欺同然に得たお金で研究のための渡米を画策するも、 そのお金も自分の壮行会で一夜のうちに使い果たし、最後は恩師が渡航費用を工面し、夜逃げ同然に横浜港で船に飛び乗る……といった人物像に対して私はぶったまげたのではありません。

現実を眺めれば分かるのですが、英世の研究成果の今日の医学に対する貢献は殆どありません。深く研究した黄熱病にしても、その病原体はウイルスであり、 細菌よりもはるかに微細なウイルスは彼の没後に出現した電子顕微鏡により初めて発見されました。実際、今日の医学書の端から端まで読んでみても、柴三郎とは違い、 英世の名前を見つけることはできません。それなのに、なぜここまで「偉人」として確たる存在感があるのでしょうか?  極貧農家に育ち、赤子の時に大やけどしたハンデをものともせず、往時は世界に名を馳せたということだけが日本人の心を打ち、挙句の果てに千円札の肖像となりました。

英世は柴三郎が所長を務める研究所にいたことがあります。つまりこの2人は師弟関係でもあったのですが、 順序が逆に「師」の柴三郎の方が「弟」の英世よりあとにお札の肖像になるわけです。 先週の4月25日の朝日新聞のコラム「福岡伸一の動的平衡 師匠の北里は何思う」ではこのことに触れて、 「天国にいる北里がこの話を聞いたらいささかプライドを害された気分になることだろう」とありました。 さらにそのコラムで、生物学者である福岡先生は英世の人気が依然高いことについて、 「何を成したかではなく、どう生きたかの方が日本人の琴線に触れるということか」とも述べています。

都合のいい部分のみを後世に伝えていくという世の行動様式……。意図的に選別された、または誤って信じ込まれてしまった情報のみが、 一定のデコレーションも施されて「事実」として皆が疑うことなく確立し、一旦確立されたものは、あまりにも頑丈で簡単には崩せなくなってしまうのです。 そのような事例は身の周りを探せば本当に沢山あると思いますし、サラブレッドの血統の世界では「完全な血統書など存在しない(その1)」 に書いたことなどがその例です。 事実として一旦確立されたものに対して疑問を投げかけることはもはやタブーであり、「利害関係のない立場の強み」でも書いたとおり、 競馬サークルの中心的存在たる学会の「血統書の間違いを指摘したいようにも拝読しましたので大きな問題点を含んでいるように思われます」 というコメントに見る既成事実の真偽再検討を拒む姿勢こそが、そのことを如実に物語っています。

野口英世に関する伝記では、渡辺淳一の『遠き落日』が最も事実に肉薄していると私は思っています。その「第八章 神田三崎町」の最後の部分に、 「一般の常識からいえば、英世は単純に偉いとはいい難い。孝養を尽し、母を大切にしたといっても、それは後年のいっときで、大半は不幸のし放しだった。 (中略) エゴイストといえば、これほどのエゴイストはいなかった」……とあります。

3年前の夏、私は家族を引き連れて、福島は猪苗代湖畔の野口英世記念館を訪問しました。 次男が夏休みの宿題で英世の研究をしており、クイズに答えると絵葉書がもらえ、次男がもらった絵葉書は英世の両親の写真のものでした。 しかし英世は、酒浸りで仕事もあまりしない父親を嫌っていたわけで、このような絵葉書は事実とは矛盾はなくとも、英世の心模様とは全く相反するものであり、 このことからも「史実」と呼ばれるものは、それを伝える者の伝え方次第でいかようにも屈折することが分かります。 天国の英世も、「俺の身内のことなどほっといてくれ……」と苦々しく思っていることでしょう。

最後に……私は偉人伝には全く書かれていない人間臭い「本当の英世」が大好きです。史実とは違う彼の姿を新たに発見することに快感を覚えるのかもしれません。 近いうちまた、彼の生地の猪苗代湖畔、医師を志し勉学に励んだ会津若松に出かけたいと思います。

もうひとつ最後に、どうでもいい話ですが、私は柴三郎の孫が社長の会社にいたことがあります。 社長室に入社の挨拶に行く際、人事部の方に「似てますよ」と耳打ちされたのですが、似てたかな?

(2019年5月3日記)

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