血統理論の在るべきかたち
「両親とも背が高ければ、背が高い子が高確率で生まれる」というのは普遍的事実として認識されていますし、
身長に対する遺伝率の高さは、例えば、一卵性双生児間と二卵性双生児間のデータ解析からも確かな結果が出ています(*1)。
しかし、それは「絶対」ではありません。両親とも背が低くとも背の高い子が生まれることもあります。
身長に影響を及ぼす遺伝子はいくつもあるはずで、或る特定の遺伝子の影響力は確かに大きいものの、他の劣性(潜性)の遺伝子も複合的に影響することもあると推察しますし、
当然のことながら栄養や運動などの環境要因もあります。
つまり、身長は全て遺伝的要素に左右されているわけではなく、もしも生物学者に「高身長の両親からは "必ず" 高身長の子が生まれるか?」と問いただしても、
「Yes」と答える者は皆無でしょう。もしもそのような答えをしたら、もはやその人は生物学者ではありません。
ここで、或る牧場の出産シーズンを想像してみて下さい。その牧場で一番に期待をかけている繁殖牝馬の出産が迫っており、牡馬の誕生を期待してるとしましょう。
そこに、知り合いのAさんとBさんがやってきて、以下のようなことを言いました。
Aさん 「牡か牝かは生まれてくるまで分からないね……」
Bさん 「絶対に牡が生まれてくるよ!」
当たり前の話ですが、Aさんの言っていることが最も正直で誠実です。生物学者がBさんのような答えをするはずがなく、
つまり根拠のないことには一切の言質を与えないのが学者であり、これが学者の発するコメントは抽象的だと言われてしまう所以(ゆえん)です。
一方で、牧場の立場としては、Bさんのような断言調の言葉をかなり期待してしまっているのではないでしょうか? 当然ながらBさんの言葉は50%の確率ではずれます。
もしも牝馬が生まれて、改めてBさんに「あ〜ぁ、残念だったね……」などとしんみりと心から言われたら憎めるはずもないですよね。
前段が長くなってしまいましたが、ここから血統理論の話です。相変わらず疑似科学的なものも含めて多様な理論が存在しており、
これらについては今後も機会をみて色々と書いていきたいと思っていますが、今回言いたかったのは、断言調の理論に信憑性は見出せないということです。
市販誌で以前見た或る論者の記事では、近親交配の成功例の著名馬を示しながら、「クロス(*2)はあったほうが無いよりは良い」という言葉がありました。
しかし、何と比較して「無いよりは良い」と断言しているのかが全く分かりません。
例えば「日本の平均寿命は80歳と高い」と言った場合、何をもって「高い」のでしょうか?
他の国々が70歳程度なら統計学でいう「有意差」があり確かに高いと言えますが、他の国々も80歳程度ならば日本が「高い」とは言えません。
既存の血統理論の多くは、「長生きしている日本人のおじいちゃんおばあちゃん」を意図的にたくさん紹介しているだけで、
ここで言う「他の国々の平均寿命」、つまり「対照データ」が全く示されていないのです。
サラブレッドの血統理論探究において、同一条件での対照データを示すことや、その理論の真否を判断する明確な指標を設定することは確かに困難です。
つまり、確かな根拠を持った血統理論などそう簡単に創出できるものではないということです。
同一条件での対照データがなく明確な指標がないということは、裏を返せば、どんな怪しい理論があったとしても、その理論が100%非科学的だとは誰も言い切れない。
けれどもこれを良いことに、いくつもの理論がバラエティー豊かに存在してしまっているのです。
以前、NHKのドキュメンタリー番組で大井競馬場の人気予想屋を取り上げていましたが、このように人気を博す予想屋の演説は間違いなく断言調です。
ファンはその内容よりも、その言葉の「切れ味」に酔い痴れているのです。
そしてその断言した内容がはずれても、エンタメの世界なのですから「あ〜ぁ、またか……」で終わりでしょう。
昨秋、日高で生産者とお話をした際に、「"○○クロス" という理論はどうなのですか?」と訊かれました。
そこで改めて気づいたのです。もしも中小の生産者が、競馬ファンが遊興的に創出した科学的根拠のない理論を深慮なく信じてしまった場合に、
「あ〜ぁ、またか……」で済ませられないという現実を……。
(*1)家庭や教育の環境が同じ双生児を利用した研究。一卵性は遺伝子共有率100%、二卵性は50%ですが、学力、運動能力、嗜好性などの多様な評価項目を設定し、
一卵性間と二卵性間のデータの「ばらつき具合の差」を調査し、 そこに統計的有意差が見られた部分が「遺伝」に依拠するというもの。
この研究の第一人者が慶応大学教授の安藤寿康氏で、当該研究は著書『日本人の9割が知らない遺伝の真実』(SB新書)や
『「心は遺伝する」とどうして言えるのか ふたご研究のロジックとその先へ』(創元社)に詳述されています。(こちらも参照)
(*2)日本の競馬界は近親交配の意で「クロス」という言葉を頻繁に使いますが、英和辞書で「cross」の意味を調べると「(異種)交配する」という意味はあるものの、
近親交配のような意味はありません。日本の更なる国際化のためにも、近親交配の意味ではインクロス [incross]、 異系交配はアウトクロス [outcross] と言うべきと私は考えます。
(こちらにも書いたとおり)
(2019年2月16日記)
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