「基礎」と「臨床」
医学や獣医学には 「基礎」 と 「臨床」 という区分があります。
ざっくりと言えば、「基礎」 は基礎科学がベースの分野であって、患者(患畜)とは直接には対面しない分野であり、解剖学、生理学、生化学、分子生物学等があります。
一方の 「臨床」 は外科学、内科学をはじめ、患者(患畜)と接して診療する分野を意味します。
つまり、普段われわれが 「お医者さん」 とか 「獣医さん」 と呼ぶ方々のほとんどは、
臨床に従事している先生方を指すわけです。
私自身、獣医学科の学生時代、「将来は獣医さんになるのですか?」 とよく訊かれたのですが、
「獣医学科に行ってるんだから、"獣医師" になるのは当たり前じゃないか……」 と当初は思ったものの、
彼らの言う 「獣医さん」 とは、まさしく動物を診療する先生だということに気づいたのはしばらく経ってからでした。
医学科にしても獣医学科にしても、診療とは直接はかかわらない基礎の講座(研究室)の教官は、医師免許や獣医師免許はなくとも全く問題なく、
私の頃も、獣医学科卒ではなく獣医師ではない先生が各講座にたくさんいました。
ところで馬産地では、各種組織が主催する研修会や講習会があると思いますが、例えば こちら を見ても常々感じるのは、
行われている内容のほとんどは 「臨床」 であって、「基礎」 の話は稀有ということです。
確かに、直接 「馬」 という生き物に接している生産地ですから当たり前と言えば当たり前の話です。
しかし、臨床分野において、「なぜそのような症状を起こすのか?」 の基礎部分がおろそかでは、真の臨床行為に支障さえきたすことも出てきます。
犬猫中心に診療している町中の動物病院にしても、
「純血種という病」 でも言及したような近親交配の弊害を基礎科学のレベルで的確に理解している獣医師はごくごく少数だと思いますし、
馬産地でも同様なのではないかと推察します。
生産者も、馬主も、競馬関連の各組織も、「目に見えるもの」 にばかり目が行きがちです。
目に見えるもの(≒臨床)と目に見えないもの(≒基礎)の双方の重要性を理解することが肝要であるとあらためて思いますし、
そのバランス感覚ある知見がなければ、いとも簡単に疑似科学のトラップにもはまってしまうのです。
「ないがしろにしてはならない基礎科学」 でも書きましたが、ノーベル賞を受賞された本庶先生も危惧されているとおり、
近年の日本は成果が短期間で出る研究に国などの予算が多く割り振られる傾向が非常に強くなり、自然科学の土台部分への探究が益々ないがしろにされています。
このことは 『科学者が消える ノーベル賞が取れなくなる日本』 (岩本宣明 東洋経済新報社)
にも詳述されているのですが、現在の日本はかなり危機的で、唖然とするほどです。
つまり、残念ながら、基礎をあまり重視しない風潮がわれわれの社会全体を包み込んでしまっているのです。
日本の生産界が世界と渡り合っていくためにも、もう少し基礎の分野の造詣を深める必要があると切に私は思います。
本コラム欄で何度も触れてきた遺伝的多様性低下や種付頭数制限の話も、その方策を討議する各位が、基礎科学の知識を持たなければ不毛の議論になってしまうのです。
よって、軽種馬協会のような各種組織が、科学的にバランスの取れた研修会や講習会を積極的に行う必要があることは申すまでもありません。
余談ながら、こちら にあるシンポジウムで 「オリンピック馬術の舞台裏 ー競技会の獣医事ー」
の講演をしたのは私の大学の同期ですが、臨床家として立派にオリンピックを支える様子で、
同じ時代・学び舎で過ごした者が自らの分野で確実に活躍していることを見聞きすることは、やはり嬉しい限りです。
(2019年12月8日記)
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