純血種という病
『純血種という病 −商品化される犬とペット産業の暗い歴史』(マイケル・ブランドー著 マーク・ベコフ序文 夏目大訳 白揚社)という本を読みました。
この本の原題は「A Matter of Breeding」であり、直訳すれば「交配における課題」といったところでしょうが、
訳者が敢えて本書の和文タイトルをこのようにしたのは、この本の内容からも、純血種の根底に流れる近親交配の弊害を示唆したかったからだと思います。
私自身、犬のブリーディングの世界はあまり知らなかったのですが、この本を読むとその問題の奥深さに唖然としてしまいました。
「犬のブリーディングに関して、我々は理性的な議論をすべき時期に来ているのではないか (中略)
二ヶ月のブルドッグの多くが必要とする目の手術、四歳のラブラドールに見られる股関節の異常……血統書つきの犬の世界では、明らかに何か間違ったことが起きているのだ」
(本書9頁)
「私たちは、近親交配の危険性や極端な身体構造の負の側面、今日のペット産業の邪悪さを伝える大量の情報に関心を払わない」(本書20頁)
衝撃的なのは、ブルドッグは極端な品種改良の産物であるため、全てのブルドッグは通常の出産ができなく帝王切開で生まれてくるということです。
その頭蓋骨は大きくなりすぎ、母の胎内から出るにはその手段しかなくなってしまったからであり、
こちらの「ブルドッグが危機、遺伝的に似すぎ」の記事にも書かれています。
サラブレッドの優劣を測るには、レースにおける強さという明確な指標があります。つまり「健常第一」ということです。
一方で犬の場合、その優劣の大半は外観(ルックス)によって決定され、つまり人間の「嗜好」という主観でいかようにも左右されてしまうことが、
その悲劇を何世紀に渡っても繰り返す要因になっているようです。
20世紀初頭に英国で施行された祖先の全てが『ジェネラルスタッドブック』に収録されている馬に遡れなければサラブレッドに非ずとした「ジャージー規則」ですが、
質の低下たる健常面に弊害をもたらしたことからも撤廃されました。しかし、依然として犬のブリーディングの世界は、その品種ごとに、
このジャージー規則もどきが厳然と存在してしまっており、「ハプスブルク家の悲劇」がいたるところで起きているということです。
猫においても、2016年10月29日の朝日新聞夕刊の
「猫ブームで懸念高まる 猫に広がる遺伝性疾患 犬と「同じ轍」踏むか」という記事が警鐘を鳴らしています。
この記事では或るセミナーを紹介し、「メンデルの法則など中学生レベルの生物学から始まり、これまでに原因遺伝子が明らかになっている遺伝性疾患の具体的な症状まで、
獣医師がわかりやすく説明していく」とありました。
近親交配は「常染色体劣性(潜性)遺伝病」の発症率を高めますが、赤血球ピルビン酸キナーゼ欠損症もその1つであり、
この記事によれば、ソマリやアビシニアンにおける発症はかなり高率とのこと。
「遺伝性疾患をなくすもなくさないも、繁殖の現場にいるブリーダーの皆さん次第」とあり、ブームがもたらす弊害の対処のためには、
中学生レベルの内容からの啓発が必要だということに、社会全体の問題の深さを感じざるを得ません。
昨今の世の中は、「遺伝子」「DNA」という単語よりも、より先進性の匂いがする「ゲノム」という言葉を好むようになってきました。
新たな言葉にしても、それを頻繁に使用したり耳にすると、何か分かったような気持ちになることが非常に危ないと私は思います。
「遺伝子操作」と言うと何か邪悪な感じがするものの、「ゲノム編集」と言うと非常に高貴で素晴らしいことをやっているように聞こえてしまっていませんか?
そして我々は、今日の自然科学(生物学)の目まぐるしい進歩を横目で見ている一方で、犬猫のみならず、やはり馬(サラブレッド)においても、
そのブリーディングの源流たる「遺伝」の基本原理やリスクをあまりに看過してきたように思います。
「犬のブリーディングという世界には、普通の人がもはや持たなくなったはずの古い価値観や信条がいまだに生きていることが多いのだ」(本書34〜35頁)
上記の「犬」を「サラブレッド」に置き換えた場合はどうでしょうか?
本コラム欄でも「近親交配(インブリーディング)とは何か?」と題したものを都合4回書きましたが(その1、
その2、その3、 その4)、
改めてそこに書いたことを力説したいと思いますし、今般この『純血種という病』という本を読んで、そんなことをしみじみ感じたところです。
(2019年4月20日記)
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