ドイツの血筋
セレクトセールが無事(?)終了しました。
「なんであの馬があそこまで値が吊り上がるのか?」……と個人的に思うものもいくつかありましたが、ここでは余計なことを言うのは差し控えます(笑)。
いずれにしても、高額落札馬の多くが母(祖母)は輸入名牝であり、こちら で書かせて頂いたことがまさしく実践されているわけであり、
つまりこのことは、言わずもがなではありますが日本国内の繁殖牝馬の血統地図は急速な変化が継続中であることを意味します。
そんなことからも、あらためて 「母系」 の意義をより深く考える必要性を痛感するわけですが、ところで皆さんは、
ドイツでは命名の際に母馬と同じ頭文字にするルールがあることをご存じでしょうか?
例えば、昨年の凱旋門賞を勝った Waldgeist ですが、この母系のルーツはドイツであり、こちらの我が樹形図 のとおり、
頭文字が 「W」 の馬がずらりと並んでいるのが壮観です。
身近な馬では、マンハッタンカフェ や
エイシンフラッシュ の母系もそうであり、
各々の血統表のボトムラインは同じ頭文字の馬が並んでいます。
そして、現在の欧州種牡馬の代表格である Galileo。その母 Urban Sea もドイツの血筋であり、
こちら のとおり、Urban Sea より前の母系祖先の頭文字は 「A」 ばかりです。
たかが命名のルールかもしれませんが、しかしドイツ生産界のこのようなこだわりは、牝系が持つ意義、そしてそこに宿った確かな能力が受け継がれていくことを、
近代競馬の黎明期から既に気づいていたことを示すのではないでしょうか?
ジャパンカップの創設当時の1980年代から90年代、欧州はやはり英、愛、仏に比べ、ドイツの馬はランクがひとつ下がる印象がありました。
当時(1994年)、知り合いのKLMオランダ航空の乗務員が、
「去年の秋のアムステルダム行きで貨物室を覗くと(※)、日本に遠征してきてドイツに帰る馬がいて、可愛かった!」 と言っていたのを思い出しました。
まさしくその馬は、エイシンフラッシュの母の父でもある1993年のジャパンカップに出走した Platini (プラティニ)です。
そのとき私は、「ドイツの馬はヨーロッパの馬でもレベルがちょっと下がるんだけど、その馬は4着に頑張ったんだよ」 と返答したのですが、
それから間もない1995年のジャパンカップは Lando(ランド)が制し、ドイツ馬が見直されるきっかけにもなったような気がします。
(※)当時のKLMの成田−アムステルダム便は、ボーイング747(ジャンボ機)の貨客コンビ型を使用。
依然として欧州においてはドイツ馬の活躍に派手さはありませんし、血統表を眺めても地味な印象を受ける馬は少なくないのですが、
かえってそこに派手なブランド血統に依拠することのない矜持をドイツの生産界に感じるのです。
ウィキペディアの 『サラブレッド』 の 「各国の生産状況」 にある2010年の生産頭数は、日本が7105、ドイツが1034とのことで、ドイツは日本の約7分の1です。
この総数では、ドイツの主要な生産者が他の諸国の派手な血統に洗脳されてしまえば、世紀を超えて育んできた血筋が一気に消えてしまったことでしょう。
血統表のボトムラインに同じ頭文字が並ぶ名馬たちは、そのようなドイツ特有の 「頑固さ」 の賜物なのです。
確かに競馬の歴史が浅い日本は、積極的に海外の名血を導入する必要があったわけで、一概にドイツを見習えとは言えないでしょう。
しかし、血のブランドに馬の価値が容易に左右されてしまうことによる特定の血への過剰なまでの偏りが、近年の日本は顕著であることに間違いはありません。
過日のセレクトセールに上場された各馬の血統やその落札状況からも、そのことがよく分かります。
重ね重ねで恐縮ですが、そのような価値観に基づく 「血の偏り」 は、生産界全体の遺伝的な健常性を静かに、そして誰しもが気づかないうちに、侵蝕しているわけです。
ふと思ってしまうのです。Galileo の爆発的な成功は、こちら に書いたこととも関連しますが、
その母方のドイツの血筋に流れる遺伝子と密接に関連するものであり、それは、料理における究極の隠し味のようなものではないかと……。
しかしその一方で今度は、Galileo 自身が欧州ブランドの権化(ごんげ)となってしまったわけで、そのために遺伝的多様性低下を惹起しつつあるという現実が、
あまりに皮肉であり……。
日本もそんな隠し味を出す素材を見失いつつあるのかもしれませんね。
ミシュランが気づきもしない小料理屋でも、そんな素材の活かし方を知り尽くし美食家を唸らす逸品を出すところはいくらでもあるでしょう。
しかし、三ツ星レストランにしか目が行かない 「美食家もどき」 はそのような料理屋には見向きもしません。
生産側も購買側も、日本の生産の将来の在り方を一歩さがって広い視野でいま一度考えてみる必要があるのではないかと、
セレクトセールで繰り広げられたシーンを回顧しながら、そしてドイツの血筋を想い浮かべながら、あらためて思ってしまったわけです。
ちなみに、Platini が来た1993年のジャパンカップには、Galileo の母の Urban Sea も出走していました。何かこれもロマンですね。
(2020年7月18日記)
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