民法第734条

日本の民法第734条には2つの項があり、以下が条文です:

(第1項)
直系血族又は三親等内の傍系血族の間では、婚姻をすることができない。ただし、養子と養方の傍系血族との間では、この限りでない。

(第2項)
第817条の9の規定により親族関係が終了した後も、前項と同様とする。

これを読み解いてみましょう。肝要なのは第1項であり、直系(つまり親と子、祖父母と孫)および3親等以内の結婚を禁止しています。 3親等と言えば、自分と伯父(叔父)および伯母(叔母)、そして甥および姪を意味しますが、この間柄で子供が生まれれば2×3となるわけです。

ここで注意したいのが、人間の場合、異父や異母の兄弟姉妹はかなり少ないのが実際であり、そうすると、その3親等同士で生まれた子供は2×3がダブルで入っていることになり、 これは近交係数上、2×2と同等になってしまうのです。よって、遺伝学的にもかなり不健全なわけであり、第1項のような条文の存在は当然と言えるでしょう。

しかしです、留意すべきは 「ただし、……」 の部分(「ただし書き」 と呼ばれる部分 )です。 3親等以内でも、血縁がない義理の兄妹や姉弟のきょうだい同士の結婚はOKとなっているのです!

私は、この第734条第1項の 「ただし書き」 に非常に興味を持っています。 この草案をつくった者は、血縁さえなければ問題ない、逆に言えば、濃い血縁者同士で子供をもうけると非常に危険だ、ということを認識していたということにもなるからです。

この第1項は戦後の民法改正においても明治民法の規定をそのまま受け継いでいるとのことですが、 これは、科学とは無縁だったであろう当時の法律家でさえ、いや、科学にも造詣が深かった法律家がいたとしても、 当時はメンデルの論文も世に認められておらず、当然のことながら 「遺伝子」 などという概念も皆無であったはずなのに、 近親結婚のリスクをきちんと理解していたということが窺い知れるのです。 以前、懇意にしている弁護士の先生にこの734条の起源について質問したことがあるのですが、 親族間の結婚においては奇形や重い病気の子が生まれる可能性が高いことをみんな目の当たりにしてたからじゃないのだろうか……ということでした。

日本の民法の母体となったのがフランス民法典のようですが、その民法典にもこのような条文があったのでしょうか?  近親結婚の悲劇で真っ先に思い出すのは 「ハプスブルク家」 ですが、当時の欧州内においては貴族を中心にこのような悲劇が頻発していたのだろうか…… などと私の脳裡で思考は巡り、是非とも法律や世界史の専門家の方々にはご教示頂きたいところです。

拙著 『サラブレッドの血筋』 の既版や 「失われる遺伝的多様性」 では、 京都大学前総長で霊長類学者である山極寿一氏の2015年5月10日の 毎日新聞のコラム にあった 「性の季節はサルではオスに、類人猿ではメスに、親元を離れて血縁関係のないパートナーを作るように働きかけるのだ」 という言葉を引用させて頂きました。 このように自然界では 「リスクあるインブリーディング」 を本能的に避けているわけですが、ここが人工的につくり上げるサラブレッドと大きく異なります。

本コラム欄では繰り返し米国における遺伝的多様性の低下に対する方策について取り上げてきました。 或る意味で、この施策は日本の民法第734条と相通ずるものがあり、「温故知新」 という言葉が突き刺さります。

欧州は Galileo の血を例として、そして日本はサンデーサイレンスの血を例として、ごく一部の人気種牡馬の血が過剰に蔓延してきており、これを看過し続ければ、 米国のような施策なしには健全な馬産ができなくなる日が来るのは時間の問題だと私は思っています。

幸い人間には民法がありますが、馬においては……。

(2020年10月11日記)

民法第734条は2×3以上のきつい近親結婚を禁じているが、サラブレッドだってこのレベルのきつい近親交配を実践する生産者はほとんどいないのだから、 米国で議論されている方策など不要……と思ってしまう方もいるかもしれません。が、サラブレッド全体の遺伝子プールにおける多様性の低さは人間の比ではないのです。 そうすると、「我が日本の講ずべき方策」にも書きましたが、 5代血統表上では一切のインクロスがないような場合でも近交係数が高い馬は少なからずいるわけで、何らかの具体的な歯止め策が必要なのは当然のことでしょう。

(2022年5月2日追記)


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