我が日本の講ずべき方策
今日発売の
『ROUNDERS vol.5』に
「サンデーサイレンスのインブリーディング配合急増に関する一考察」と題したものを寄稿したことは 前回 書きました。
特にサンデーの曽孫たるエピファネイアやモーリスは日本の生産界に溢れかえっているサンデー孫牝馬の受け皿にされ、
その産駒の大半がサンデーの3×4になっていることに始まり、今後はあらゆる人気種牡馬のインクロス馬で溢れることが予想されることから、
遺伝的多様性低下の見地からも何らかの対策を迅速に講じなければ日本の生産界の健常性は危うくなる旨の警鐘をあらためて鳴らしました。
しかし、どのような方策を我が国は講ずるべきかまではさすがに今回の寄稿では書ききれなかったので、ここではこれについて考えていきたいと思います。
「遺伝的多様性の低下に対する米国の方策」と題したものはこれまでに
その1、その2、その3、その4、その5
と書いてきましたが、最終的にアメリカ、カナダ、プエルトリコでは、2020年以降に生まれた種牡馬については年間種付頭数を140以下に制限するルールが発効されました。
当初アメリカジョッキークラブが打ち出した案と比べると骨抜きになった感は否めませんが、一定の策を確かに発効したということは見習うべきです。
そこで、我が国はどのような策を打ち出すべきかですが、私が思いつく講ずべき策はとりあえず以下の2つです。
@年間種付頭数制限
A配合における近交係数(またはこれに類するもの)の上限設定
上記@の理由はアメリカジョッキークラブが述べていることと基本的には同じであり、ここでの詳述は割愛しますが、
対象とする種牡馬の範囲や、その上限頭数はどの程度にすべきかなどについてはいろいろな意見があるはずです。
ちなみに私はシャトル種牡馬に関しては、第一段階では国内での種付頭数だけを制限対象としたとしても、
第二段階ではシャトル先での種付数も含む総数を制限対象とすべきと考えています。
モーリスを例にすれば、シャトル先での産駒がGIを制したことからも血の交流は積極的に行うべきという声が当然に出てくるはずですが、
もはや遺伝的多様性低下は個々の国レベルの話ではなくなっているわけで、まずは国内で策を施行し、
次に海外との連携および協調(ハーモナイゼイション)を行っていくべきと考えます。
これは、ケンタッキーの大手ブリーダーがこの施策の無効化を求めた提訴の理由のひとつに、
このような策が他の国で施行されなければ優良種牡馬が他国に流出してしまう懸念を挙げていることからも、
グローバルな方策の施行が不可避となることも理由です。
まあ、シャトル先も含めた総数という策を施行したら、シャトルする種牡馬はいなくなってしまうかもしれませんが。
次に上記Aですが、これはまず「近交係数」とはどのような数値なのか? ということを関係各位が理解せねばなりません。
ここでその説明を始めると長くなってしまうのでやめますが、こちら
は拙著『サラブレッドの血筋』の第2版の抜粋で、この中で近交係数の説明をしていますので、お読み下されば幸いです。
ただ、思うに、それ以前に、このような施策がなぜ必要なのかの議論から始めなくてはならないのかもしれず、
そのためには「遺伝の基礎」からの科学的啓発を地道に競馬サークル全体に実施しなければならないかもしれません。
こちら にも書いたとおり、
例えばラッキーライラックはノーザンテーストと Mr. Prospector のインクロス持ちだと誤解している人が生産者を含めて非常に多いのですが、
このようなことに関する修正啓発から地道に行っていかねばならないのです。
また、3×3の方が3×4より近交度合い(つまり近交係数)は高いことは誰もが理解していますが、
では、3×3が単独の場合と3×4が2つ入った場合とはどちらが高いかは理解されているでしょうか? 答えは同等です。
しかし複雑なインクロスを持った馬も多く、こちら ではミッキーロケットを例に説明させて頂きました。
近交係数は F=Σ[(1/2)n(1+FA)] という式で示され、3×3が単独と3×4が2つ入った場合は同等と申しましたが、
厳密に言えば、この FA の値をゼロと見なした場合です。
なお、5代血統表上では一切のインクロスがないような場合でも近交係数が高い馬は少なからずおり、
これは7代、8代……とさかのぼった場合に 共通祖先の総和たる Σ の実際の数値が高くなること、共通祖先自身の近交係数たる FA
の値が高い場合があることによるものです。遺伝的多様性が低下した集団においてそれが顕著になるのですが、そもそもこれは、
ありとあらゆる名馬の血を上塗りするかのごとく幾重にも幾重にも重ね合う速度が近年は昔とは比べものにならないくらい高まっていることが大きな要因なのです。
……と、多分ここまでくると難しくて話についていけないと思った方も少なくないと推察します。が、不遜な言い方になってしまいますが、
少なくともこのレベルの話についてこられなければ、上述のような方策が本当に必要なのか、必要ならばどのような策にすべきかという議論に参加などできません。
こちら でも書きましたが、医師であり作家であった渡辺淳一氏が、
臓器移植に絡む「脳死」の議論の場に来ている「識者」と呼ばれる人々のほとんどが「脳死とは身体においてどのような状態なのかを全く理解していない」
と嘆いていたことをついつい思い出してしまうのです。
上記Aをもう少し具体的に考えると、例えば、一定の近交係数の値を超える交配パターン数を生産者ごとに一定の割合で制限するというのが一案です。
しかし、特に近親交配の有用性に信念を持っている生産者の方がいたなら、そのような案については「ふざけるな!」と思って当然でしょう。
だからこそ、多様な意見を募りながら、なんらかの方策が必要である旨の理解を互いに深めながら、
具体的にどのようなものにしていくのかの議論は迅速に開始すべきなのです。
どのような策であるにしても、アメリカにおけるその発効までの経緯を見ても分かるとおり、途中猛反発は四方八方から出るでしょう。
つまり、あらゆる議論を経て発効まで行きつくにはかなりの時間を要するのでしょうが、その一方で、遺伝的多様性の低下はその加速度をいまも増しているのです。
もう待ったなしです。
(2021年11月8日記)
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