遺伝的多様性の低下に対する米国の方策(その5)
米国ジョッキークラブが各種牡馬における種付頭数制限案を打ち出し、それを発効した話は
その1、その2、その3、その4 と書いてきましたが、
今回は続編です。
このジョッキークラブの施策についてとうとう訴訟が起きたようです。
ケンタッキーの3つの大手牧場が原告であり、こちらの 『BLOODHORSE』の記事 によれば、
原告はアンチトラスト法等に基づき、ジョッキークラブの行為は "blatant abuse of power" である旨を主張しているとのことで、
日本の独禁法における「優越的地位の濫用」のようなものでしょうか。ちなみに優越的地位の濫用の話は こちら で書きました。
また、3月19日付でJAIRS(ジャパン・スタッドブック・インターナショナル)のウェブサイトの「海外競馬情報」(No.3-1)に
「名門3牧場、種付頭数制限ルールに対して提訴(アメリカ)【生産】」
と題した翻訳記事も掲載されていますので、参照頂ければと思います。
今回の訴訟は、やはりというか予想どおりの感があります。
確かに今般の米ジョッキークラブが発効した施策は、利害関係者の中でも特に大手牧場の運営面においては多大な影響があることは間違いありません。
その一方で、改革にはどうしても痛みを伴う部分があり、あらためてどのような落としどころを見つけていくかが最大の焦点となります。
上記の記事の中で原告は、遺伝的多様性の低下を理由としたジョッキークラブに対して、「科学的証拠がない限りこのような施策はなされるべきではない」
というようなことを強く述べているようです。
しかし、その4 にも書かせて頂いたとおり、遺伝的多様性低下の現象たる「近交弱勢」の様相が一旦でも明確に認められる事態になったなら、
つまりそのような「証拠」が明確に認められるようになってしまったなら、もはや後戻りはできません。生産界全体が "The End" なのです。
そのことだけは生産に携わる各位は肝に銘ずるべきと切に思うわけです。
その2 にも書いたとおり、地球が平らだと信じて疑わない人が依然として多数いるという現実や、
地球温暖化対策の議論がなかなか前に進まないことなどと、遺伝的多様性低下に端を発した今般の施策に対する議論は相通ずるものがあります。
確かにこの米ジョッキークラブの打ち出した策はベストではないでしょう。
だからこそ、全ての関係者がもう少しこの分野(=遺伝の基本的なしくみ)の理解を深めて議論していかないと、その溝は埋まらないのです。
こちら では、
『パラサイト・イヴ』 というSF小説の著者でミトコンドリアの研究者の瀬名秀明氏が「新潮文庫版あとがき」で、
「『私は文系なのでわかりません』 も何百回と聞いてきた言葉だ。これほど文系を貶(おとし)める言葉はないのに、なぜ多くの人が免罪符のように、はにかんだ笑みさえ浮かべて、
この言葉を口にするのだろう。この言葉が裏に隠している意味は、つまり『私は自分に関係のないことは切り捨てることにしています』ということではないか」
と言っていたことを書きましたが、今般の施策の利害関係者の中でもこのようなマインドがはびこり続けるようであれば、一歩も前に進まないということです。
他方、今般の米国での訴訟の話を聞いて思ったのは、ジョッキークラブはきちんと説明はしたか? 科学者は相手の立場をおもんばかって適切に説明はしてきたか? ということです。
こちら にも書いたとおり、科学者は「とにかく正しいことを伝える」 という発想に陥りがちで、それがコミュニケーションを阻んでいるようであり、
まず相手が心の底では何を考えているのかを理解しなければならず、かたくなな心を開かせるのはデータではなく「共感」であるのです。
上記の今般の記事によれば、このような制限案が他の諸国では施行されていないことから、原告は米国の優良種牡馬が他国に流出してしまうという懸念を示しているようですが、
これについてはまさしくそのとおりで頷くものがあり、米国生産界もそのあたりの対策を真摯に検討する必要性があるでしょう。
そして、忘れてはならないのは、これは米国だけで解決できる問題ではないということです。
つまりこのような施策はグローバルになされねばならないということであり、「ハーモナイゼーション」が必要不可欠ということです。
もうお分かりですよね? この議論の波は日本にも必ずやってくるということです。
しかし、少なくとも私レベルでは現時点において、日本国内における本件の真面目な議論の声が全くと言っていいほど聞こえてこないことからも、
我が国の生産界の将来をかなり危惧してしまうのです。
(2021年3月28日記)
「遺伝的多様性の低下に対する米国の方策(その6)」 に続く
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