遺伝的多様性の低下に対する米国の方策(その1)

先日の台風は千葉県における爪痕が大きく、依然停電しているエリアもかなりあるとのこと。 これについて、こちらの「千葉大停電の遠因か。倒木処理の難しさと山武杉の悲劇を振り返る」 と題した記事にある以下の記述に非常に共鳴するものがありました:

「つまり農業と平行しながらマツ、スギ、ヒノキと環境に合わせて植え継ぎ多様性を築く。 落葉が土壌を保護するから、皆伐せずに森を維持し続ける。このような技術で、健全な木々を育ててきたのだ」

「しかし、戦後は長い時間をかけて多様な木を育てることが嫌われた。木材が高く売れたため、残されていたアカマツの大木も伐られてしまった。 そして政策的にスギの一斉林づくりが奨励された」

「だが皆伐してスギの苗だけを一斉に植えたのでは、土壌保全能力が失われてしまう。それに一斉林は、適切に間伐をしないと林内の風通しが悪くなり、樹木が健全に育たない。 そんなスギは、溝腐れ病に罹患しやすくなった。すると芯が真っ黒になるうえ、腐って溝ができると材としてまったく価値はない」

本コラム欄で、私は何度も日本の生産界における遺伝的多様性の低下の問題を指摘してきましたが(こちらこちら)、 上記の記事はまさしくそれとオーバーラップするのです。

そんな中、米国では年間種付頭数を制限する動きがあることを小耳に挟んだので、懇意にしている現地の獣医師に詳細情報があれば知りたいと連絡したところ、 『BLOODHORSE』の以下の記事を教えてくれました:

The Jockey Club Exploring Book Size Limits

この記事によれば、アメリカジョッキークラブは各種牡馬の年間種付頭数を140に制限することを検討中で、具体的には以下とのことです: 

・2020年が初シーズンの種牡馬は、2023年までは制限を免除
・2019年が初シーズンの種牡馬は、2022年までは制限を免除
・2018年が初シーズンの種牡馬は、2021年までは制限を免除
・2017年以前に初シーズンを迎えた種牡馬は、2021年より制限を適用

ディープインパクトやキングカメハメハの早逝に対しては、種付の過剰使役が遠因ではないか? との臆測も飛び交いました。 よって、米国の種付頭数制限はその理由か? とも思ってしまったのですが、 上記の記事の冒頭に「The Jockey Club board of stewards, concerned with narrowing diversity of the Thoroughbred gene pool, announced...」とあるように、 日本の生産界と全く同様に、特定の種牡馬への著しい人気集中による遺伝的多様性の低下の懸念によることが明確に記されています。

進化論と創造論(米国における科学不信の現場)」で私は、米国の生産界は基礎科学を蔑ろにしているというようなことを書いてしまいましたが、 今般の記事を見ると、少なくともアメリカジョッキークラブという組織だけは違うということが分かりました。

このことから、逆に言いたくなるのは、日本はどうなのか? ということです。 サンデーサイレンス等の特定の血の蔓延に対して、 日本は依然として危機感があまりに稀薄すぎる気がしてならないのですが、日本の競馬サークルを司る団体はこんな状況をいつまで野放しにし続けるのか?

ふと思うのです。私がマーケットブリーダーなら、3×3のみならず2×3ももしかしたら実践するかもしれません。単に「売れる馬」をつくればいいのですから。 しかし、もしも私がオーナーブリーダーであったなら、よっぽど思い入れた配合でない限りは3×4さえ避けるでしょうし、 できる限り5代前までインクロスなしの配合を模索するでしょう。

その理由として、こちら で言及した論文にもあるとおり、現在は生産界全体がいびつな「遺伝子プール」となっているからです。 つまり、このことにより、例えば単に3×4と言っても、昔と今では近交リスクが全く違うのです。 5代前までインクロスなしで生まれてきたとしても、 低い遺伝的多様性の遺伝子プール内で生まれてきた個体は、どのみち劣性(潜性)遺伝子をホモで持つ頻度が高くなっているのです。

そのような遺伝子プールでは、環境省自然環境局の一機関である生物多様性センターの こちらのサイト でも書かれていますが「近交弱勢」と呼ばれる現象が起こり、受胎率低下や流産率上昇の割合も高まります。 これは、芳しくない遺伝子構成の個体はできる限り生を受けるべきではないという「自然の摂理」によるものとも考えられているのです。

きつい近親交配を何度か実践しても目立った「負の効果」はなかったと言う生産者も少なくないかもしれません。 しかし、若齢の時は全く健常でも、歳をとるにつれ、遺伝的障害を発症する例もあります。 「純血種という病」では犬のブリーディングにおける信じ難い現状を書きましたが、 サラブレッドにおいても、似たり寄ったりの状況がもうすぐそこまで来ています。

その昔、英国の「ジャージー規則」は、遺伝的多様性の低下によると推察される弊害のために撤廃に追い込まれました。 一方で、現在の欧州を眺めてみると、Galileo 等の人気系統への偏りが顕著であり、これを見ると昨今の世界各国の生産界は、結果として、 無意識のうちに自らをジャージー規則下と同じ「近交弱勢」の状況下に追い込んでいるのかもしれません。

今般のアメリカジョッキークラブの動きは、ある意味で、自国の生産界だけはそのような状況から逃れようとする「切なる想い」が感じ取れるのです。 しかし、このような動きに対する根強い反発があろうことは容易に想像でき、今般の案が正式に発効されるのかどうかは、じっくりと見守っていきたいと思います。

そして、果たして、日本の組織は手遅れにならないうちに何らかの方策を打ち出すのか? これについてもじっくりと見守らさせて頂きます。

(2019年9月21日記)

遺伝的多様性の低下に対する米国の方策(その2)」 に続く

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