カリスマ
岡田繁幸氏が亡くなったとのこと。「総帥」と呼ばれ、そのカリスマ性をいかんなく発揮し、
日高の牽引力となったその存在感は群を抜き、しばらくは生産界では喪失感に包まれることでしょう。
ご冥福をお祈り申し上げます。
今回はあらためて、ちょっと冷静にそのような「カリスマ」という存在、およびその影響力(功罪)について考えてみたいと思います。
もうお分かりでしょうが、私が以前 こちら で書いたのは岡田氏のことです。
このようなカリスマ性を持つ人物は、他の追随を許さないほどに或る分野に長けています。
しかし見誤ってはならないのは、そのような人物たりとも、ありとあらゆる分野に長けているわけではないのです。
なのに、カリスマと呼ばれる人物は、その卓越した弁舌に基づく魅力あふれるキャラクターたる「人たらし」ゆえんに、周囲の者は知らず知らずのうちに「信者」と化し、
その言動には何ら疑問も抱かずに信じ込んでしまう部分があります。
また、思うのですが、このように馬車馬のごとく自らのパワーで道を切り拓いてきた人は、全ての物事を自分で取り仕切ってしまおうとする部分はなかったでしょうか?
限りない「相馬眼」を持つ者は、例えば「遺伝のしくみ」にも精通していると、自らも周囲もついつい思ってしまわなかったでしょうか?
ふと、こんなことを思い出したのです。私は駆け出しの獣医時代、街中の動物病院に勤務したのですが、国家試験にパスした直後の獣医など単なる免許を持っているだけであり、
飼い主さんにそんな浅薄な知識の自分を見透かされないかと日々が不安な気持ちの連続でした。
そんな時、院長に「大学の教授にしたって、信じられないほど動物の病気については何も分かってないから不安になることはない」と言われたことがあります。
実際に飼い犬(猫だったかな?)を病院に連れてきた高名な教授先生がいたのですが、われわれからしたら「そんなこと素人でも知る常識中の常識だろ???」
と思うようなことでもご存じなかったことに驚愕したこともありました。
つまり、一般市民のわれわれは「教授」というと、少なくとも世の常識レベルのことは何でも知っていると思いがちですが、逆に「専門馬鹿」であることがしばしばなのです。
岡田氏のようなカリスマの存在は、厳しい環境に依然として置かれる日高の中小牧場の経営者にとっては心の拠りどころでもあったことでしょう。
そういうプラスの側面の影響力も計り知れなかったのは確かだと思います。
そのような拠りどころこそ、益々競争が激化する生産界にとって必要不可欠なものであるのは間違いありません。
ちなみに次のカリスマ候補を探してはみるのですが、即座には見当たりませんね……。
そういう意味では、こちら にも書いたように、
確かな功績を残した者の後継者の双肩にかかるものは、われわれが想像もできないほどに重たいものだということです。
どうしてもそのようなカリスマたる人物は雲の上の存在のようについつい思ってしまい、異論を挟みづらくなることもしばしばだったと思います。
よって、だからこそ、その言説には「なぜ?」「それは確かか?」というような視点を持つことも時に必要であると思うのです。
岡田氏が残した数々の言葉の内容をいま一度検証し、それを適宜修正および活用しながら今後の生産界のレベルアップ、
ひいては競馬界の発展に寄与していくことが残されたわれわれの使命であり、岡田氏への敬意でもあるわけです。
(2021年3月21日記)
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