遺伝的多様性の低下に対する米国の方策(その7)
前回、今般の北米における種付頭数制限案について、
或る競馬関係者が、個々の種牡馬の消耗度合いをチェックしながら個別に判断すべき、というような意見を出していた話を書きました。
この方策案が最初に発表されたのは2年半も前ですので、いまだにこの策が種牡馬の過剰使役予防が目的だと思い込んでいるこのような方は、
その論点をきちんと把握する気が全くないと公言しているようなものです。
一介のファンがこのような筋違いの解釈をするのはありえるでしょう。
しかし、サラブレッドの生産や売買に携わる関係者のこのような意見に繰り返し遭遇すると、今回の方策の是非云々以前に、
科学的啓発の必要性が広範に競馬関係者全般にも必要であることを思い知らされるのです。
こんなことを想像してみてください。腹をすかしてレストランに入りました。早速メニューを開いてみたところ、あらまぁ、びっくり!
以前はもっとバラエティに富んでいたのに、なぜかハンバーガーとピザしかありません!
さすがに他のものを食べたかったあなたは、そそくさとそのレストランを退散して別のレストランに行き、あらためてメニューを開きました。
……が、そこのメニューもハンバーガーとピザしかない!!
チーズバーガー、チキンバーガー、テリヤキバーガー、マルゲリータ、ペスカトーレ。
しかし店としては客足が鈍らないように、新たにクリームチーズバーガー、モッツァレラチーズバーガー、
さらにはチキンマルゲリータからテリヤキ風味ペスカトーレのような品目を手あたり次第に加えて、バラエティ豊かに見せかける……。
舌の肥えたそのレストランの昔の顧客は、あの頃そこで味わったオムライスは絶品であると思っているのに、そのレストランの新たな経営者は、
オムライスなど流行から外れていると一瞥もくれなかった……ペルシアンナイトやブラストワンピースが種牡馬になれなかったのはそのようなものかもしれません。
話が脱線しまくりましたが、どこのレストランに行ってもハンバーガーやピザしかメニューに載っていないバラエティの欠如が、多様性の低下ということです。
つまり、個々の種牡馬の消耗度合いをチェックしながら……などという意見は、そのハンバーガーやピザを腐らせずにできるだけ長持ちさせるにはどうしたらいいか?
という別次元の議論だということです。種牡馬の健康管理にその所有者が個別対応をすることなど当たり前じゃないですか。
天下のジョッキークラブが個々の種牡馬の健康まで気を使ってくれる慈悲深い団体だとでも思っているのでしょうか?
そして、もうお分かり頂けたとは存じますが、遺伝的多様性の問題とは個体レベルの話ではないということです。
以前、「この馬は遺伝的多様性は低いのか?」のような質問を受けたことがあるのですが、この質問者が言う「遺伝的多様性の低い馬」とは
「近交係数(※)が高い馬」のことと思われます。
(※)こちら の拙著『サラブレッドの血筋(第2版)』の抜粋を参照。
凱旋門賞を連覇した Enable は Sadler's Wells の2×3のきついインクロスを持つことから、この馬自身が持つ遺伝子のバラエティは相対的に低いことが推察されますが、
仮にこのようなきついインクロスを持つ馬が一部にいても、その他多数がアウトクロス配合で生まれた個体であれば、
この集団の遺伝的多様性は低くない可能性が高まります。要するに「個」ではなく「群」の議論であるわけで、
上記の意見にあった「個別に判断」などという概念はありえないのです。つまりこれは、団体競技の成果(得点)を高くするにはどのようにすべきかという議論において、
そのメンバー各自に個別で指導すればいいと言っているようなものなのです。
今般の米国の決定について、こちら に書いた米国の獣医師にもどう思うかを訊いたのですが、
このコラムを書いているさなかにちょうど以下の旨の返事をもらいました。
「今般の米国のサラブレッド生産界の問題は、1970年代後半から80年代に発生して今も続く改善なき滑稽(こっけい)な牛の市場と同じである。
多くの生産者は目の前の売上が至上で、人気の種雄牛だけを使うことを繰り返してきた。目の前の投資回収に躍起になっている限り、生産者は遺伝学で言うところの
『ボトルネック効果』
に関心(懸念)など示さない。今回の件が、米国競馬界が中長期的な未来を気にかけて改善に向けての努力をし続けていることを意味しているのであれば、
米国において別途なんらかの規制があるものと期待している」
今後の動向を見守りたいと思います。
(2022年2月27日記)
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