愛猫が天国に行って想ったこと

先週の3月10日、18年と7か月ほど私の苦楽に寄り添ってくれた愛猫が天に旅立ちました。 先週末にコラムを書けなかったのは、情けないことに、我ながらかなり気落ちしてしまったためです。

最期は自宅の居間でした。普段はほこりをかぶっている我が聴診器を愛猫の胸に当てると、まだかすかに心臓は動いています。 愛猫の寝床は長男の部屋でしたので、彼の勉強中も膝の上によく乗っていましたが、この日は学校が偶然休みだった彼にもか弱いその心拍音を聴かせました。 すると間もなく、間隔をあけた大きな「チェーンストークス呼吸」が始まり、そしてとうとう聴診器に心音は届かなくなり、死後硬直も徐々に始まり、 ここでようやく我が愛猫が旅立ったことを悟りました。

ちなみに、臨床の知識はほとんどないペーパー獣医の私が愛猫のチェーンストークス呼吸だと気づいたのは、 大学病院の医師であった渡辺淳一氏の自伝的小説『白夜 彷徨の章』にあった氏の失敗談たる以下の一節からなのです。

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 死の直前、一旦呼吸が停ってから、酸素が欠乏し、血中の炭酸ガスで呼吸中枢が刺戟されて大きく呼吸を繰り返すことがある。 それが一、二度続いて、そのあとに完全な死が訪れる。いまのがまさしくそのチェーン・ストーク呼吸の波ではなかったのか。
「まだ生きてますよ、いや、きっと死にます」
 本当は、いまのはチェーン・ストーク呼吸だから仮の呼吸で、死は間違いないのだといいたかった。 だがそのいい方はいかにも唐突だったらしい。妻も息子達も、みな呆気にとられた表情で伸夫を見ている。

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蛇足ですが、渡辺淳一氏への偲ぶ想いは、以前 こちら に書きました。

ところで、3月5日の朝8時40分はテンポイントが天に召された時だという想いがあり、44年という歳月を経ながらも、先々週も「今年もこの時間だな……」 なんて思ったのですが、しかし、われわれの心に刻まれた俗に言う「名馬」だけが特別な存在ではないということ、そして、 我が愛猫の命が他の猫の命よりも重いわけではないということを忘れてはならないと思いました。 数えきれないほどの無名の馬、あらゆる種類の動物そして生物、ひいてはわれわれ人間が限りなくいて、それぞれがそれぞれのかたちで「命」を授かったわけで、 そしてそれぞれが例外なく「死」を迎えるということです。

普段は当たり前のように食肉に供されている動物にも感謝の意を持たねばとも思い、 また自分自身、獣医学科の学生時代も実験動物に対してはあまりにも無慈悲だったことを遅ればせながら自戒しています。 そんな中、ふと我が出身大学のウェブサイトを見ると、昔の会社(※)の同僚だった同窓生が大学に戻った後にめでたく教授に昇進していたようで、 今度研究室に陣中見舞いに行った際は、大学敷地内にある畜魂碑に深く合掌したいと思います。

(※)こちら の最後に書いた北里柴三郎の孫が社長だった会社。私にとって良い思い出は全くのゼロ。皆無。ナッシング……。

いま、2022年の新書大賞第2位に輝いた『生物はなぜ死ぬのか』(小林武彦 講談社現代新書)という本を読み終えたのですが、 私が別途論議を持ちかけている「遺伝的多様性の維持」の見地からも、 有性生殖における「誕生」と「死」の繰り返しによる遺伝子のシャッフルには、確かな意味があることをこの本を読んで再認識させられました。 生物学的知識がないとちょっと難しい記述もありますが、ベストセラーにもなったように有意な内容で溢れており、よろしければ読んでみてください。 そしてこの本のおかげもあり、私自身、今般の愛猫の死を穏やかな気持ちで受容できるようになりました。

最後に……彼方のウクライナでは、罪なき市民や、双方の軍の兵士が無残にも命を落としていることにいたたまれない気持ちになります。 「死」には確かな意義はあれど、愚かな独裁者のための死などは絶対にあってはならないのです。

愛猫の話からウクライナの話まで飛躍してしまい、頭の中がまだ若干の混乱状態なのですが、 またいつもの辛口コラムを書き始めたなら、堀田の奴は平常心に戻ったんだな……と思ってやってください。

(2022年3月19日記)

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