経験と勘を重んじる世界
少し前になりますが、『週間競馬ブック』の7月25日発行号の「一筆啓上」のコーナーで、
評論家の須田鷹雄氏が「新しい技術と日本の競馬界」と題したものを掲載していましたが、なかなか読み応えのある内容でした。
まず最初の小見出し「予想では一定の存在感を示すが」から始まる部分では、AIやビッグデータの利用が進む世の中であれど、
競馬の世界においては予想ビジネスの範疇に留まっているようだということで、その理由として、
この種の技術がこの業界のカルチャーに合致しないということ、もうひとつに結局競馬業界は予想というマーケットだけが大きいということを挙げていました。
そして次の小見出し「経験と勘を重んじる世界」の部分では、
その予想以外の分野ではAIやビッグデータのような科学的手法がなんらかの成果を産むかについて言及しています。
海外では競走能力や適性に関する遺伝子研究が進み、実用化されている一方で、日本ではこの種のものにアレルギー反応を示す競馬関係者が少なくなくて、
ホースマンが持つ経験と勘こそが至高という文化が根強く、遺伝子だ血統だデータだAIだなんていうのは馬を見る能力がない人間のたわごと、とされがちとありました。
この須田氏の言葉については、私として大きなむなしさに包まれながらも大きくうなずいてしまいました。
さらに須田氏は、唯一獣医学やトレーニングの分野だけはノーザンファームが劇的に成功したこともあり、追随する生産者・育成者が出てはいるものの、
それは「現場派」のカテゴリに属するものなので理解が得やすかった面があり、「書斎派」の肩身は狭いと書いているのですが、うまいことを言うなぁ……
と唸ってしまいました。
以前書いた「「基礎」と「臨床」」における「基礎」こそ須田氏が言う「書斎派」のカテゴリであり、「臨床」こそ「現場派」のカテゴリです。
そこにも書きましたが、皆、「目に見えるもの」 にばかり目が行きがちです。
目に見えるもの(≒臨床)と目に見えないもの(≒基礎)の双方の重要性を理解することは肝要ですし、
そのバランス感覚がなければ、いとも簡単に疑似科学のトラップにもはまってしまうのです。
これは「「科学」と「技術」の相違」に書いたこととも相通ずる話です。
実は先日、或る大手生産者とお会いして日本の生産の現状についていろいろとお話を伺ったのですが、
配合の検討に関してもう少し遺伝子面からのアプローチもしていると予想していたものの、実際は思った以上になされていないことに驚きを感じたばかりなのです。
須田氏の文章の最後の小見出し「信用されないからこそ」の箇所では、
「長年博物学的な手法で行われてきた血統論を、AI・ビッグデータで検証してみるのが面白いのではないかと思う」とありましたが、
既存の血統論は生物学(遺伝学)から逸脱したものが大半であり、そのような検証を行えば、
それは疑似科学だというお墨付きが確実に与えられてしまうのではないでしょうか。
また須田氏は、「人間の目や勘では不可能だった新しい切り口の血統評価が可能になれば、生産や育成にそれを活用することもできるだろう。
生産者や馬主に信奉者がどれだけ出るかは微妙だが」とも述べていますが、仮にAIやビッグデータを用いた科学的な新たな解析結果が出てきたとして、
競馬関係者が依然としてそれを無視し続けるのであれば、それはもはや宗教的であり、そのような解析結果は彼らの信仰の対象外ということなのでしょう。
現在、或る出版社から新書の執筆依頼を受けております。
編集者の方からの最初のオファーのメールには、遺伝学的視点から競走馬の血統を説いたものが見つけられず探していたところ、
我が『サラブレッドの血筋』にたどり着いたとの有難いお言葉。ついては「遺伝学の基礎に沿った競走馬の血統に関する入門書」の趣旨でとのことで、快諾しました。
「書斎派」の真骨頂をきちんと文面に示したいと思います。
……ということで、今日もこんなコラムを書いている暇などなく、いまからそちらの原稿作業に移ります(^^
(2022年8月14日記)
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