「科学」と「技術」の相違

遺伝子研究の世界的権威で筑波大学名誉教授の村上和雄先生の著書『科学者の責任 未知なるものとどう向き合うか』(PHP研究所) を6年前に初めて読んだ際にはかなりの感銘を受けたのですが、あらためて読み直したところ、書き留めておきたい貴重なお言葉が数々あり、 今回はそこからいくつか思ったことを記してみたいと思います。

まず、この本の冒頭で以下が書かれています。

「私たちは、科学技術という言い方をしますが、実は、科学と技術は別物です。にもかかわらず、科学と技術は一緒にして扱われています。そこに、大きな病巣があります」

「科学と技術を混同している人の多くは、世の中の役に立たずして何が科学だと思っているでしょう。 実用化を目的とする技術だけがあまりに重視されているから、そういうものの見方になってしまうのです。 あくまでも科学は、命や宇宙の真理に一歩でも近づこうとするものです。その過程で、万有引力の法則が見つかったり、相対性理論が考え出されたりしてきました。 それに対して、技術というのは、科学で見つかった法則や理論を実生活に役立てるべく実用化するものです。科学はあくまで基礎研究であり、技術は実用性を求めるものです」

「医学部でも、基礎医学というのは科学です。いつも、試験管を振ったり、顕微鏡をのぞいたり、私のようにネズミを笑わせたり(こういう科学者はあまりいませんが) しています。それに対して、臨床医学は技術になります。実際に病気を治す医学です」

このあたりの話は「「基礎」と「臨床」」にも書いたとおりですが、 調教師の仕事を「基礎」か「臨床」か? の視点に立てば、 そのほとんどは後者の範疇であると「元調教師の言説」に書きました。

さらに、村上先生は以下のように書いています。

「科学者ばかりでなく、一般の人も、科学という学問がつねに真理を語っていると思っているフシがあります。 科学の進歩によって、確かにさまざまな自然現象のメカニズムを説明できるようになったし、自然界にある法則も発見しました。それはすごいことだと思います。 科学者として、とても誇りに思っています。 しかし、だからといって、自然の真理をすべてにわたって解明したと思い込むとそれは驕りにつながり、大きな間違いを犯してしまいます。 科学は、真理に近づこうとしていますが、あくまでも『こう考えられる』という仮説であることを踏まえておくのが大切です」

そして、1981年にノーベル化学賞を受賞した福井謙一氏に関するエピソードが、以下のとおり興味深いです。

「あるとき福井先生は、高校生と一緒に大学共通一次試験(現在の大学入試センター試験)をしてみました。英語ではかなり優秀な成績をおさめました。 さすがノーベル賞受賞者です。では、自分の専門の化学もしてみようということになりました。ノーベル賞を受賞したほどの方です。 どう考えても、専門の化学ならすらすらと解いてしまうだろうと、誰もが思いました。ところが、福井先生は平均点が取れませんでした」

「つまり、こういうことです。研究と受験勉強の違いは何か? 受験勉強というのは、答えがあるのです。しかし、研究には答えが用意されていません。 自分たちで導かなければなりません。答えに続く道は用意されていません。その道を切り拓いていくのは自分しかいないのです」

著名馬を何頭も手掛けてきた名伯楽は、まさしくそのような道を自ら切り拓いてきたのでしょう。 その一方で、そのように名伯楽と呼ばれてきたがゆえに、 自他ともに、「臨床(技術)」の分野のみならず「基礎(科学)」の分野にも精通したと思い込んでしまったフシはないでしょうか?  別稿で私は繰り返し取り上げている、米国で議論が真っ最中の遺伝的多様性低下対策としての種付頭数制限案ですが、これこそまさしく基礎(科学)がベースの議論であり、 よって「元調教師の言説」に書いたA氏やB氏などに、その可否に関する意見を決して求めてはなりません。

今年、アーモンドアイは初仔としてエピファネイアの仔を産みました。そして、第2仔としてモーリスの仔を受胎したとの記事が数日前に入ってきました。 シルクレーシングの代表がプレスリリースしたことから察するに、アーモンドアイの仔はシルクに卸すのが既定路線のようですが、 ブランド力のある種牡馬の産駒でないと一口馬主の方々はなかなか飛びつかないのでしょうから、 エピファネイアやモーリスという種牡馬がまず選ばれるのは、ビジネスとしては当然のことなのでしょう。

ここでまた私が何を言い出すのかを察してくださった方もいると思いますが、これらアーモンドアイの初仔も第2仔もサンデーサイレンスの3×4です。 上記A氏の「奇跡の血量」発言は唖然としましたが、B氏の連載サイトでも当然のごとく、或る馬と或る馬の配合だとサンデーの3×4となる旨が熱く語られていました。

また、拙著『サラブレッドの血筋(第3版)』および『ROUNDERS vol.5』に寄稿の「サンデーサイレンスのインブリーディング配合急増に関する一考察」に書きましたが、 角居勝彦元調教師の『さらば愛しき競馬』(小学館新書)には、「エピファネイアとリオンディーズの2頭は種牡馬になりましたが、 彼らにとってサンデーは曽祖父(ひいおじいさん)にあたるので、 血統的にはサンデーの孫に種付けすることも選択肢になりました」とあるように、 日本を代表する調教師として名を馳せた角居氏も3×4ならOKという感覚を持たれていました。

さらにです。キャロットクラブ会報『ECLIPSE』の今月号の冒頭では、「マルシュロレーヌを語り、マルシュロレーヌに学ぶ」 と題した記事がこの馬の引退に寄せて掲載されているのですが、その中で矢作師は「この父馬との仔馬が見てみたい、手掛けてみたい等、仔への期待を教えてください」 との問いに、「コントレイル。サンデーサイレンスの3×4だし、是非子どもを見てみたいね」と答えています。 まあこの記事は実の娘でフリーアナウンサーの矢作麗さんが書いたものであり、両馬とも自らが手掛けたので気軽に答えたものとは思うのですが、 しかし「3×4」を特別な数字と思っていなければ、このような発言自体もないはずであり、つまりグローバルに偶像化した「世界の矢作」でさえ……なのです。

上述は、「「3×4」の呪縛」にも書いた神話が依然として名伯楽各位の思考回路にも厳然と居坐っていることの証左です。 臨床(技術)の分野では独自に答えを導き出して名馬を多数輩出した各位ですが、基礎(科学)の方はと言えば、 「3×4という数字には意義がある」という回答を既につくり上げてしまい、固定化してしまってはいないか?  ということであり、名伯楽でさえこのような様相なのですから、サークル全体における根の深さは容易に想像できます。 こちら は上記の「サンデーサイレンスのインブリーディング配合急増に関する一考察」からの抜粋ですが、 なぜ私がこの箇所だけ敢えて太字にしたのかについては、このような様相からもご理解頂けるでしょう。

村上先生は、「京大元総長の平澤興先生が、50年間生命の謎を追い求めて、結局わかったことは『命の本質はわからない』ということだったというのも、非常に奥深いことです」 とおっしゃっており、「わからないことを『わからない』というのも科学者の使命」とのことですが、大きくうなずきます。 私はこのあたりの話を「ネガティブ・ケイパビリティ」に書きましたが、 「遺伝」についても、勉強すればするほどわからないことばかりが炙り出されてくるわけであり、よって、 「「絶対」「必ず」という言葉の値崩れ」にも書いたように、「……だから……だ」のような断言などおいそれとできないわけです。 そして、このようなことを鑑みても、「3×4」という数字にあたかも意義ありきのような思考の席巻には、あらためて危惧を抱いてしまうわけです。

最後に余談です。この村上先生は、上記のとおりネズミを笑わせる研究をしました。これは、笑ったときに遺伝子がどうなるのかを片っ端からチェックし、その結果、 笑いだけで遺伝子が ON になったり OFF になったりすることがわかったとのことです。 また、「笑い」が糖尿病患者に効力があるかについて吉本興業とコラボしてデータを取ったことがあるとのことで、実際に有意差が出たとのことです!

ちなみにこの「笑うネズミ」の研究は、或る海外での集まりに村上先生が参加した際の自由時間に酒場で或るハンサムなアメリカ人に、 「日本人はあまり笑わないと聞いているけど、どうして笑いの研究をしているのですか?」といきなり声をかけられたとのことに端を発するとのこと。 それはなんとハリウッドの大スターたるリチャード・ギア氏だったとのことで、その打ち解けた酒宴の最中にアメリカ人研究者が、 「笑うネズミはつくれるんじゃないか」と言い出したのがきっかけとのことで、 「あのときリチャード・ギアさんが私に笑いについての質問をしなかったら、『笑うネズミ』という発想にはならなかったと思います」と先生は書いています。

また、村上先生は、原爆の問題にも警鐘を鳴らしています。 科学者が原子核の膨大なエネルギーを見つけてしまったがゆえに、あの原爆がつくられてしまったわけであり、 1955年に「ラッセル=アインシュタイン宣言」という文書が出された話も冒頭から触れています。 これはイギリスの数学者のラッセルとアインシュタインが、アメリカとソ連が水爆実験競争に明け暮れていたことに対し、核兵器の廃絶を訴えた宣言文であり、 日本初のノーベル賞受賞者である湯川秀樹氏も署名しました。 そして、この宣言が出た3ヶ月後にアインシュタインは亡くなったことから、これをアインシュタインの遺書ととらえる人も少なくないとのことです。

最後はちょっと重い余談となってしまいましたが、核をちらつかせながらロシアがウクライナを侵攻している現在、理系文系老若男女を問わず、 この村上和雄先生の『科学者の責任 未知なるものとどう向き合うか』は、いま私が最も推薦したい本です。

(2022年5月22日記)

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