外野席における視点

私は獣医師ではありますが、生業(なりわい)は診療にも研究にも従事していない単なるサラリーマンです。 ところで、先月発売の拙著『競馬サイエンス 生物学・遺伝学に基づくサラブレッドの血統入門』を紹介してもらった こちら のウェブ記事を、なんと、卒業以来だから35年間まったく連絡を取っていなかった大学同期(都内の動物病院の院長)から、 フェイスブックの方にメッセージがあり、非常に嬉しくなりました。 私がサラリーマンとしてこの歳までやってきたことを伝えると「似合わない」との返答であり、そうですよね、 型破りなことばかりやってた若き日の私を知る者から見れば、そのように思って当然です(苦笑)。 言い換えれば、こんな私も、会社という組織の中では生き延びるために自らの意思を殺しながらなんとかやってきたということです。

いまこのコラムを読んでくださっている方々で、その拙著をすでに読んでくださった方々はそこそこいると思いますが、お読みになっておわかりのとおり、 私は「競馬サークル」に対して、可能な限り迎合も忖度(そんたく)もない姿勢で書きました。 つまり私は、サラリーマンとして自らの籍を置く組織においては、上司や組織の方針に深い疑問を抱いたとしても自分の気持ちを抑える必要があった一方で、 競馬サークルからは直接の報酬を得ている立場ではないので、あのような論調で書き下ろせたわけです。 これは「利害関係のない立場の強み」でも書いたことです。

拙著では、競馬サークル内の重鎮たちが発したいくつかの言説に対して率直に斬り込みました。 サークル内に籍を置く人たち(サークル内からの依頼でもっぱら生計を立てているライターのような人たちも含む) にも私と同様のことを思った人はいないはずはないのですが、しかしこれらの方々はサークルからの報酬で生活が成り立っているわけですから、 その内部に流れる「空気」にさからうことなどなかなかできません。 つまり、サークル内の重鎮に対して私と同様の斬り込みなどおいそれとできるはずはなく、これは私がサラリーマンとして、 自分が属する組織の方針に仕方なく従ったことと同じです(従わずに盾を突いたものの、無理矢理抑え込まれたり無視されたことも幾度となくありますけどね)。

これだけサンデーサイレンスの血が席巻している日本の生産界ゆえに、自ずとそのインクロス馬は増殖しますが、これに対する強い懸念を私と同様に抱いたとして、 何らかの対策が急務だと思ったとしても、そんな発言は大手ブリーダーをはじめとするサークル内の諸々の組織における利益に関連してくるので、 安直には何も言えないことは容易に想像できます。

上記を一例として、サークル全体の底上げの観点に立てば、本当にこのままでいいのでしょうか? 必要な議論が少なくはないでしょうか?  「異論と議論のススメ」でも書いたとおり、アメリカ人は白熱した議論を戦わせても、それが終われば肩を組んで帰っていく、 というようなことも聞いたことがありますし、そこに書いた厚切りジェイソン氏の「違いは不快、でも安定には成長はない」という言葉には含蓄があります。 さらにそこに書いたように、日本人は自らが発した或るひとつの考えを否定されただけで人格さえも否定されたと感じてしまう傾向があるようで、 それが、意義ある議論の足かせにもなっているような気がします。

競馬サークルを野球に喩えれば、私はせいぜい外野席に座っている一観客のようなものかもしれません。 つまり上記の斬り込みは、或る意味で「外野席における視点」に基づくものであります。 確かに外野席にはいろいろな人種がおり、無責任な単なる野次も少なくないかもしれませんが、時に有意義なものもあるはずです。 拙著の第3章「失われる遺伝的多様性」の最後に「本書が前向きな議論の引き金になれば嬉しい限りです」と書きましたが、 これは、拙著の他の章、さらには本コラム欄で別途問題提起してきた事案にも当てはまる想いだということを申し添えておきます。

(2023年6月19日記)

拙著に対する評価は、或る程度は両極化することは当初から予想していました。 或る通販サイトのレビュー欄には酷評も入っているようですが、一部の血統理論の提唱者や信者が仮に拙著に書いたことを受け容れてしまえば、 その理論は根底から揺るぎかねないわけですから、酷評を入れたくなる気持ちは十分にわかります。 いずれにしても有難いと思うのは、当方が書き下ろした書物に対して、それがネガティブな気持ちだとしても深い関心を抱いてくださっていることです。 本書が前向きな議論の引き金になれば嬉しい限りだと書きましたが、それがそんな引き金だとしたなら、非常に嬉しい話です。

(2023年6月21日追記)


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