「お客様は神様」とは?

前回 、池添騎手が「X」(旧ツイッター)で、じきじきのサインがメルカリで転売されている現実について、 もうサインはやめるという旨のメッセージを出していた話に触れましたが、直後に池添騎手は 「反響にびっくりしておりまして… コメント拝見して、本当に欲しい方の事を考えてなかったです。これからは本当に欲しい方に宛名も入れてサインする事にします!!  お騒がせしました!」(←原文引用)と書かれていました。

ところで、我が『サラブレッドの血筋』の第3版は、表紙をめくった左下には、こちら のようにシリアルナンバーを押印しています。 印刷会社にまとめて発注して冊子化したものではありますが、興味を持ってくださった方々に一冊々々送ることは、なにか我が子を送り出すような気持ちであり、 それぞれが違う番号たる唯一無二のものだという気持ちも込めており、誰に何番の冊子を送ったのかも記録しており、 或る意味で池添さんの気持ちと我が気持ちには被るものがあります(僭越ながら……)。 ちなみにこのシリアルナンバーは、重要な牝系資料たる『競走馬ファミリーテーブル』 に付されているもの(こちら)を倣ったものでもあります。 なお、拙著が不要になりヤフオクやメルカリに出品することもあるかもしれませんが、出品された方にそのナンバーを尋ねるような意地悪なことはしませんので、 ご安心ください(笑)。

話を変えます。世の消費者は、自分がどこまで偉いと思い込んでいるのか? と思うことがしばしばあります。百貨店などの商店では「カスハラ」の対応が大変のようですね。 このカスハラという言葉を最初に聞いた時、意味がわからなかったのですが、最近では単語として確立したことが問題の深刻さを物語っています。 電車に乗った際、車掌さんが「ご乗車ありがとうございます」というアナウンスは通常に聴くと思いますが、これについて私は子供の頃から思っていることがあります。 確かにわれわれ乗客は運賃を支払ってはいるけれども、その見返りとして目的地まで我が身を届けてもらっているのだから、こちらも「ありがとう」だよな、と。

さらに電車のアナウンスで疑問に思うことがあります。例えば、「この先の踏切に人が立ち入ったため、〇分ほど遅れ、申し訳ございません」 といった詫びのたぐいのものです。 車両故障などは紛れもなく鉄道会社側に原因があるので詫びて当然ですが、踏切の人立ち入りなどに起因する遅れは鉄道会社に非はないわけで、 なぜ詫びるのかということであり、せいぜい「〇分ほど遅れたことをご了承ください」と述べるのが適当だと私はいつも思ってしまうのです。 近ごろ通勤で踏切トラブルの遅延に遭うのがやたら多いのですが、その際のアナウンスには上記のような詫びの言葉が必ず盛り込まれることから、 運行マニュアルに入っているのでしょう。確かに鉄道会社にとっては、先に詫びた方が下手なクレイマーに巻き込まれたりはしないでしょう。 しかしこれを例に、結果として世のあらゆる業種で「客」が過剰につけあがってしまっていないかということです。

飲食店については「食べログ」や「ぐるなび」、宿泊施設については「じゃらん」や「楽天トラベル」などがあり、 ここには利用者がそれこそ自由にレビューを書き込みます。そこには残念ながら悪意ある書き込みも当然にあるわけです。 従業員が沢山いる大規模のところならまだしも、小規模の飲食店や宿泊施設の経営者は自らが「直接に」このような書き込みを浴びるわけであり、 それをスルーするメンタルがないとやっていけないのが現実でしょう。

今般この話を書きたいと思ったのは、私自身も先日は出版社から書物を出したわけで、 当然にこれはネットショップのレビュー欄にいろいろと書かれて数値評価を受けていることから、 そんなことが身に染みたのです。そしてレビューされる立場として痛感したのは、その評価をする人にとって何か1つでも気に食わない点があったならば、 最低評価を受けてしまうこともある、ということです。

以前、SNSでこんな話を目にしました。動物病院の話です。診療時間外の夜中に開けてもらって犬か猫を診てもらった飼主が、 そこの獣医師は夜中ゆえに眠くてあたかも不機嫌そうな対応だったらしく、その病院に最低評価を入れたという話です。 これについては或る獣医師が「厚意で夜中に診療してあげたのに、さすがにそれはないだろう」 という旨をそのSNSに書いていたのですが、深く深くうなずいてしまいました。

以上のようなことから、「お客様は神様」という言葉についてネット検索をしていたところ、 こちら のサイトによれば、 この言葉は1961年に演歌歌手である三波春夫さんが漫談家の宮尾たか志さんとの会話の中で生まれ、お客様を歌によって、芸によって、歓ばせたい想いから生まれたとのこと。 そのためには余計な考えを棄て、真っ白な心にしなければならず、あたかも神様に祈るときと同じような姿勢であるべきという視点から発したということでした。 つまり、サービスを提供する側の心構えであり、享受する側が高飛車になってもいいということでは全くないということです。

最後に誤解のないように付記しますが、いろいろなレビューを頂戴している拙著について、自分でも完璧な内容だとは思っていません。 また、ネガティブなレビューでも、それを書いた人は拙著を購入くださったことは確かであり、当方に興味を抱いてくださったことは間違いありません。 そしてそのレビューの言葉の中には次への糧となるものも当然にあり、そこはまさしく感謝です。 こちら は拙著の第4章「母性遺伝」中の「ディープインパクト産駒のGI馬の母系」と題した小見出しで始まる部分に挿入した表ですが、 これは「天下無敵のブランド(その2)」の中の「表(※1)」であり、 つまりそこに書いた有難い(?)お言葉を頂戴することがなければ、このような表を作ることはなかったのです。 よって訂正します。「有難い(?)お言葉」ではなく、「まさしく有難いお言葉」であると(笑)。

(2023年8月14日記)

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