ウィキペディアの信憑性
インターネットがない頃は、書籍で各種の情報を収集してその詳細を調べたものですが、現在はネット検索がメインで、「ウィキペディア」を頻繁に利用している人も多いでしょう。
しかし、その内容の信憑性はどうなのでしょうか? 今般、ウィキペディアの「競走馬の血統」
のページ(以下「本ページ」と言います)の本コラムを書いている時点での内容について気づいたことを以下に記します。
以前、当コラム欄の「「血統」と「科学」」で、本ページの内容について私は少々論述しました。ここで論述した箇所は誰が書かれたのかは存じませんが、
非常に的を得ており感服します。一方で、本ページ中の冒頭部分の以下の記述については非常に疑問です。
「『競馬はブラッドスポーツである』という言葉があるように、競走馬の血統と能力は密接な関連を有していると考えられてきた。近年の研究によれば、
競走馬の競走成績に及ぼす両親からの遺伝の影響は約33%に過ぎず、残りの約66%は妊娠中の母体内の影響や生後の子馬を取り巻く環境によることであるとされているが、
それでもなお競走馬の能力に血統が一定の大きな割合で寄与している事実がある。生産者が血統を意識して交配を行い、馬主が血統を意識して競走馬を購入することはもちろん、
一般の競馬ファンが予想を行う際にも、しばしば競走馬の血統をその要因に含める。従来、競走馬の血統という際には父側に大きなウエイトをかけて語られることが多かったが、
近年の研究によれば、競走馬の遺伝的な素質は母馬から55〜60%を、父馬から40〜45%を受け継ぐということが明らかになっている」
この記述はJRA競走馬総合研究所のウェブサイト中の『優秀な競走馬を生産するための種雌馬の要因(及川正明 馬の科学 Vol.40 (1))』(※1)を引用しているようです。
これは2002年当時の海外の研究報告のようですが、「両親からの遺伝の影響は約33%」および「遺伝的な素質は母馬から55〜60%を、
父馬から40〜45%を受け継ぐ」の部分について、私にはこれら数値の根拠が全く分かりません。この数値はどのように算出したのでしょうか?
つまり、定性的な要素をどのように定量的な数値に換算したのでしょうか? そもそもここで言っている「遺伝的な素質」とは何なのでしょうか?
父親よりも母親からの遺伝的影響が大きいという考え方は、別途私は母系の重要性を説いているとおり、同感です。
父と母から各々50%ずつ継承する(メンデル型遺伝をする)染色体上の遺伝子とは独立して、ミトコンドリアの遺伝子は母性遺伝をするのは事実です。
しかし、染色体上遺伝子とミトコンドリア遺伝子の影響の「定量的な割合」など単純に算出できるはずがありません。
また、例えば或るマウスでは母親由来の染色体のみ形質発現に作用しているとの科学的報告が実際にあるのですが(=片親起源効果)(※2)、
母馬から55〜60%、父馬から40〜45%という数値の算出根拠が全くもって分かりません。
引用元の報告自体も2002年当時のかなり前のものです。母系の重要性を説いている私は「ミトコンドリア」と「エピジェネティクス」をキーファクターと捉えており、
日進月歩の科学界ですので関連書物や論文はできる限り新しいものを読み込むように心がけていますが、
このような一時代前の抽象的な内容の報告を、JRA競走馬総合研究所たる組織が自己のサイトに依然掲載し続けていいのかという疑問も湧きます。
本ページで更に疑問なのは以下です。
「オーストラリアの血統研究家、マリアンナ・ホーンは1997年、『エックス・ファクター - それは何か、どのように見つければよいか:遺伝性の心臓サイズと競走能力の関係性
(X FACTOR:What it is & how to find it:The Relationship Between Inherited Heart Size and Racing Performance)』において、
競走馬の能力に重大な影響を及ぼす心臓のサイズ(厳密に言うと、心臓の一回拍出量)は、性染色体のうちメスなら2本オスなら1本持つX染色体によって決定されており、
必然的にその遺伝は特殊な経路のみに限定される伴性遺伝となることを明らかにした」
そんなこと明らかになどなっていません。Xファクターを再び槍玉に挙げるのは恐縮ですが(こちらを参照)、
本ページ中のこのXファクターの箇所は、この理論を盲信している人が書いたものと思われます。この理論の英文原書の言い回しが非常に狡猾で、
病理学者や心臓学者の名前を引用しているのですが、これら学者は、例えば競走馬における心臓の特性を探究しているのであり、
その心臓の「特長」がX染色体の情報に依拠するようなことは全く言っていないのです。しかしこの原書は、
まるでこれら学者がX染色体の意義を説いているかのように思わせる言い回しなのです。
競走馬の血統は世の中から見たら非常に特殊な分野であり、精通している者も少ないことから、ウィキペディアの運営側のチェックも完全にしきれないのかもしれませんね。
確かに本ページ中には、それを裏づける参考文献や出典が不十分である旨の注釈がありますが、上記箇所はそれ以前の問題です。
「真実を見極める確かな眼を」のところで書いたことと関連しますが、世の中の全ての分野において各自がもっともっと疑問を持って、
何が本当のことなのかを追及する必要があると切に感じます。
上述のウィキペディアの内容は、当然のことながら今後適切に修正されていくことを期待します。
(※1)https://researchmap.jp/masa9745524/misc/26320344
(※2)『エピジェネティクス革命 −世代を超える遺伝子の記憶』 ネッサ・キャリー 中山潤一訳 丸善出版
(2018年8月24日記)
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