「隔世遺伝」の話

「隔世遺伝」という言葉を聞いたことがあるかと思います。本コラム欄ではこちらでもちょっと触れました。

手元の電子辞書にある『デジタル大辞泉』によれば、「子が祖父または祖母に似ること。親のもつ潜性形質が子の世代で分離して現れる」とありますが、 ここで言う「分離して現れる」は意味不明で、天下の出版社たる小学館の辞典なのに全くもって残念です。

この「隔世遺伝」という言葉ですが、生物学(遺伝学)で正式に用いられている言葉ではないのです。 日本遺伝学会が一昨年9月に発刊した『遺伝単 遺伝学用語集』では、遺伝に関連する沢山の用語をあらためて定義(提案)しているのですが、 「隔世遺伝」の言葉は見つかりません。 つまりこの言葉は、「堀田さんところに生まれたちょっとひねくれた顔のあの子は、偏屈だったおじいちゃんがヘソを曲げた時の目つきにソックリだね」 というような場合に用いる便利な言葉として、一般大衆の間で確立したものだと推察します。

その隔世遺伝の具体的な例を挙げれば、インティやスワーヴリチャードが両親ともに鹿毛系ながらも栗毛であることがまさしくそれです。 また、拙著『サラブレッドの血筋』に詳述し、別稿(こちら)でも書いたとおり、以前私は、孫の Kitten's Joy が栗毛であることから、 鹿毛の祖父 Sadler's Wells と芦毛の父 El Prado の親仔関係を疑いましたが、これこそ隔世遺伝のトリックと言えます。

あらためて、手元の電子辞書にある『旺文社 生物事典』で「隔世遺伝」を調べてみると、「ふつう祖父母のもっていた劣性形質が孫でホモになって現れる現象であるが、 広義には先祖に似る先祖返りをいうこともある」とあります。 この「劣性形質が孫でホモになって現れる現象」に関する科学的メカニズムは拙著に詳述しましたし、こちらでも触れました。

生産者が、自己の繁殖牝馬の配合相手に共通祖先を持つ種牡馬を敢えて選ぶこと(=インブリーディング)は、 生まれてくる仔が父方と母方から同一の「劣性(潜性)遺伝子」をもらうことで、 この遺伝子が惹起する形質(=生物的特徴)は優性(顕性)遺伝子に隠されることがなくなることを期待するものであるからして、 つまりこれは隔世遺伝を期待する行為そのものなのです。

ところで、一介の競馬ファンのみならず著名な血統論者でさえ「この馬は○○の3×4だから……である」に類する発言を深慮なく安直にされているのをしばしば見受けますが、 これは、隔世遺伝を過信してしまい、そのメカニズムを理解することなく疑似科学に翻弄されていることを意味します。 くれぐれも生産者においてはそのように翻弄されることがないことを願いますし、配合の模索の際にはそのメカニズムを確実に理解され、 隔世遺伝に過度の期待を寄せることのないよう十分に気をつけて頂きたいと思います。

インブリーディングの話の続編を書こうかなと思ったところ、その導入キーワードとして「隔世遺伝」が思い浮かび、今回は敢えてその話に絞って書かせて頂きました。 ちなみに、両親とも健常なのに重篤な遺伝病(常染色体劣性遺伝病)を持った子供が生まれることは隔世遺伝の悲しい一例ですし、 凡庸な両親から突然に天才が生まれる「鳶が鷹を生む」という現象も隔世遺伝の一例とも言えることを付記しておきます。

(2019年3月17日記)

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