「伝える」ということを考える(その1)

馬の売買契約書に思うこと(その1) 」でも触れましたが、 こちら はJAみついしのウェブサイトにある「軽種馬売買契約書」の雛形です。ところで、この契約書の「第4条の第1項」とはどこを指すのか分かりますか?

こちら は憲法のウェブサイトです。 第四条を見て頂きたいのですが、これの第1項とは「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」を指します。 お分かりのとおり、法の条文では、第1項には「1」という数字を付さないのです。

つまり、上記の売買契約書はその条文の体裁なのですが、契約書に馴染みのない人が誤解しないためにも、第1項には「1」と書いてあげるのが親切だと思うのです。 契約書は法律の体裁を「模倣」する必要などないのですから。しかし、相手の立場を斟酌しない杓子定規な法律家に契約書を作らせると、残念ながらこのような傾向があります。

話はちょっと変わって、以下は、昨年ノーベル賞を受賞した本庶佑氏の著書『ゲノムが語る生命像』(講談社ブルーバックス)にあるメンデルの法則の説明文です。

「親の形質は遺伝子によって、子へ伝えられる。また、子の代ではその遺伝形質の発現に力関係があり、発現されるものを優性、かくれてしまうものを劣性と定義している。 これが『優劣の法則』と呼ばれる第1の法則である。ところが孫の代になると、子の代には存在しなかったかのように見えた劣性の遺伝形質が、やはりちゃんと残っていて発現してくる。 これが『分離の法則』と呼ばれるメンデルの第2の法則である。メンデルの第3の法則は『独立の法則』と呼ばれ、無関係な2つの遺伝形質は、それぞれ独立して勝手に親から子へ伝えられる、 というものである」

しかし、上記のような説明で、一般読者はメンデルの法則を理解できますか? 特に「分離の法則」の説明は意味がさっぱり分からないのではないでしょうか?

こちら でも紹介した『ルポ 人は科学が苦手 アメリカ「科学不信」の現場から』(三井誠 光文社新書)には、 「そもそも、研究者は科学のことはよく知っているけれど、情報の伝え方についての訓練を受けているわけではありません。 科学をよく知っているということと、科学をうまく伝えられるということは、別のことです」とあり、さらには、 「注目されているのは、受け手の感情に気を配り、共感を得ながら情報を伝えることの重要性です。『心』を通して『頭』に届けるのです」とあります。

このように、科学の本質を伝えることの難しさは相変わらずなのですが、私が敢えて冒頭で契約書の話を書いたのは、 科学に限らずにどの分野においても、情報の「送り手」においては、自己満足に陥らないことが重要であるということを言いたかったのです。

法律家にしても科学者にしても、「専門家」と呼ばれる人々は、自己が精通している分野のことを話す際に、無意識に専門用語を使ってしまうことはあるでしょう。 しかしそれはある程度は仕方のないことでもあります。初歩的な説明に気を配りすぎると文章が冗長になるのも事実であり、 私が情報を発するに当たっては、受け手に自ら考えて(調べて)ほしいという気持ちが強いときは、敢えて難しい言葉も使うようにしています。

ただ、いずれの場合においても、確かなコミュニケーションとは、情報の送り手の「相手の立場に立つ思慮」と、 受け手の「理解しようとする心構え」があって初めて成立するということです。この基本を忘れてはなりません。 当然私も、場合によってはどちらの立場にもなるわけですから、そのことを肝に銘ぜねばと思うのです。

(2019年8月24日記)

「伝える」ということを考える(その2)」に続く

戻る