サンデーサイレンスとは何だったのか?

毎回、私なりにコラムのタイトルは何にしようかと想いを巡らすのですが、今回もいくつか考えました。 例えば、「サンデーサイレンスの正体とは?」 「サンデーサイレンスという化け物」、さらにはストレートに 「サンデーサイレンス」 はどうかな?……と。

結局は 「サンデーサイレンスとは何だったのか?」 にしたのですが、書き始めるにあたり、 参考文献のひとつとして吉沢譲治さんの 『血のジレンマ サンデーサイレンスの憂鬱』(NHK出版)をめくってみました。 すると、第1章のタイトルがまさしく 「サンデーサイレンスとは何だったのか」 であることにちょっと驚いてしまったのです。

あらためて、この馬は本当に何だったのでしょうか? 

機械とは違う 「生物」 には、当然のことながらいくらでも例外があります。 前回の 「名牝を母に持つ名種牡馬(その1)」 では、名種牡馬には母親(母系)が優秀な馬が多いことを書きましたが、 もしかしたら、その究極の例外こそ、サンデーサイレンスなのかもしれません。 サンデーサイレンスの母系は確かに貧弱であり、それゆえに、年度代表馬に文句なしに輝いた馬ながらも、米国生産界は日本に手放したと言われます。 『血のジレンマ』には以下のようなくだりがあります:

「だが、アメリカにおける種牡馬としての評価は低かった。 母はGUレースの優勝馬だが、母系を過去に五、六代たどっても下級馬しか見当たらない貧弱きわまりない血統だったのである。 そこに代々配合されている種牡馬もマイナーなものばかり。こんな血統から、よくぞGUレースを勝つ母親が生まれてきたものだと驚かされる。 突然変異で生まれたとしか考えられない」(本書 42 頁)

こちら でも書いたとおり、以前私は吉沢さんに対して、 「突然変異」 という言葉をいくつもの著書において多用してしまっていると失礼を承知で指摘させて頂いたことがあります。 しかし、サンデーサイレンスという 「個体」 を見てみると、確かに血統表のボトムラインにめぼしい牝馬はいなく、そこから枝葉も伸びておらず、 そこに配合された種牡馬群もほとんど目に触れない名前ばかり。 そこからこのような逸材が突如現れたのですから、遺伝学的観点から考察しても、エピジェネティクスなどといった生易しい現象ではなく、 ついに私も、サンデーサイレンスには競走能力に有意に影響する突然変異があったのかもしれない……と思い始めてしまったのです。

こちら が 『競走馬ファミリーテーブル』 にあるサンデーサイレンスの母系樹形図です。 また、こちら が 2001 年以降生まれのGT馬を加筆している私の樹形図で、矢印で示した Belle Mere がサンデーサイレンスの6代母です。 ご覧のとおり、近年において 3-e 族は全体としてそれほど繁栄を見せている牝系ではありません。 また、サンデーサイレンスの5代母 Marcellina のラインからは 2001 年以降生まれのGT馬は全く出ていないので、私の樹形図にはこのラインは掲載しておりません。

いずれにしても、そんな母系から突然の年度代表馬の出現ですので、米国生産界にしたら、その競走能力がそのまま種牡馬の能力に直結するとは思えなかったのでしょう。 至極当然の話です。

このような血統背景の馬が、なぜあのような競走成績を収め、さらには種牡馬としてあのような爆発的な成功を収めたのか?  仮に遺伝子解析技術が発達しても、その理由を明確に解き明かせることはないでしょう。そこが生き物の奥深さであり、各々の個体が唯一無二の存在であるがゆえんです。 けれども、サンデーサイレンスには有意な突然変異が入ったのだと仮定すると、そこにはどのような科学的ストーリーを組み立てられるのか?……とやはり思ってしまうのです。

「サンデーサイレンスにおいて、その細胞核の(DNA上の)遺伝子に特殊な突然変異が起こり、その変異が入った遺伝子は、 配合相手の眠った(核およびミトコンドリアの)遺伝子をも覚醒させるような作用、それとも、 配合相手が持つ不利益な遺伝子を凌駕(上書き)する優性(顕性)な作用があったのではないか?」

これが現時点での私の仮説です。ただし、正直な気持ち、うまく説明できない生命現象を突然変異に帰結することは、遺伝を探究する者にとっては不本意です。 理由づけが困難な現象を 「神の思し召し」 にしてしまうことと同じであり、或る種の敗北でもあるのです。

自然科学の領域においては、「デジタル思考の弊害」 でも書いたとおり、白か黒かの単純な結論を導き出せることは稀有です。 そのような、探究心をくすぐる未知の部分だらけなのが 「生物」 というものであり、そこに魅力があふれています。 或る意味で底なし沼たるそんな魅力を、いまさらながらですが、サンデーサイレンスはあらためて教えてくれたような気がしてきました。

あの時は吉沢さんに 「突然変異」 という言葉の多用を指摘してしまいました。 しかし、「サンデーサイレンスとは何だったのか?」 に限っては、少なくとも現時点では他に上手く説明をつける術がないことに気づいてしまったのです。 ということで、吉沢さん、今回はほんのちょっとだけ、ごめんなさい(笑)。

(2020年5月2日記)

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